バレンタインデー
「おい!」
執務の間の短い休憩時。
それを見計らったように、ひょっこりとシンがカイの執務室に姿を現した。
「シン! 一体どうしたのですか、また窓から…!」
執務室は城の中核にある。
当然窓から姿を現すには、手摺りや足場のない壁を上ってくるしかない。
そんなことせずとも、シンならば正面から堂々と入って来られるものを。
目を丸くするカイの顔前に、さらに驚くべき物が突き出された。
「ほら」
「え?」
シンが持ってきたもの。
それは。
「可愛いですね」
一口サイズの、花の形をしたチョコレートだった。
型に流し込んだものではなく、一枚一枚花弁を組み合わせて作られている。
「城下のお菓子屋のオヤジが、店一番の品だってよ」
「もしかして、シン、これをわざわざ…」
「ちげぇよ。母さんのために買ったら、一個余ったんだ」
母親の分だけ買おうとして、一個だけ都合良くチョコレートが余るなど、あるはずがない。
わざわざ買い求めてくれたことが、さすがのカイにも分かった。
相変わらずシンは嘘が下手だ。
だが、むすっと口をへの字に曲げているシンに問いただそうものなら、たちまち彼は機嫌を損ねてしまう。
――――本当にまあ、都合の悪いときは口を閉ざす、というところは、悲しいくらいにソルの影響だな。
口元に手を当てながら、しみじみとそう思う。
が、カイはあえてすべての疑問を捨て、素直にシンに頭を下げた。
「ありがとうございます。さっそくいただきますね。でも、食べるのが勿体ないです」
「べつに。言っとくが、本当に余ったやつなんだからな!」
「はい。分かっています」
カイは自分の目の前に、そっとチョコレートを置く。
剥き出しのまま持ってきたのが、シンが一刻も早くこれを自分のもとへ届けようとしてくれたように思えて、カイの頬は弛んでしまう。
シンがくれたもの、という点がカイに多大な喜びをもたらしているのだ。
「こんな素敵なプレゼントをいただけるなんて。これで仕事がはかどりますね」
「大げさだな」
シンはそういって肩をすくめてみせたが、その表情はどこか得意気だった。
「じゃーな!」
「ええ、ではまた」
シンは来たとき同様、窓の外の道を選択して帰っていった。
彼が姿を現してから戻っていくのに、10分とかからなかった。
――――ああ、そうか。
一日の仕事を終えたカイは、その時になってようやくシンの意図に気が付いた。
――――そうだ。今日はバレンタインデーか……。
仕事でそれどころではなかったので、すっかり忘れていた。
それをあの子がまたも覚えていて、しかもプレゼントまで用意してくれたのが、カイには感動だった。
「そういえば、男性からや友人同士でも贈り合うと言うからな」
納得して、私室のドアに手を掛けようとして。
「!」
気が付いた。
中にいる気配に。
不法侵入のくせに、今更だと言わんばかりに、気配を消すつもりはやっぱり毛頭ないらしい。
それが彼らしいといえば、彼らしかった。
――――そうか、こいつが……。
バレンタインデーの習慣をシンに教えたのだろう。
何も言わないが、いつものぶっきらぼうな態度とは裏腹に、意外とマメな性分である彼に、カイは思わず笑みをこぼした。
わざわざこの日に訪れてくれるのだから。
きっとこの扉を開ければ、彼のことだ。
「遅ぇ」
とか何とか言って、それでもやっぱり優しく迎えてくれて……。
「おい」
「!?」
いつの間にか、ぼんやりとドアの前で物思いに沈んでいたらしい。
中からの不機嫌な声にはっとした。
と同時に、笑いがこみあげた。
「ああ、行くよ」
彼は何も言わない。
きっと、何事も特別なことがないかのように、振る舞うのだろう。
けれどその分、カイを気遣う気持ちはとても感じる。
――――これは、お返しが高くつきそうだな。
何だかとんでもないことを要求されるのではないか。
その予感がありつつも、カイを止めるには至らない。
そんな自分に苦笑いを浮かべながら、カイは部屋の扉を開けた。