嵐の後







「ふう・・・」


 自身の治める国が一望できるような、広く視界の開けた城の展望台で、カイは風に遊ばれる髪の毛を手で優しく押さえ、一息ついた。
 ひどく温かく、心地が良い風だ。
 あるいは、今の状況がそのように感じさせているのかもしれない。


 国の存亡にかかわるような一大事が一段落し、混乱を極めた城の中も急速に落ち着き始めていた。
 その先陣に立って人々を導いていたカイは、ようやく彼らに安堵が広がったことに、心底ほっと肩の力を抜く。
 

 勿論、これで終わりではない。
 それは分かっている。
 「木陰の君」である彼女の封印も、まだ解けぬまま。
 このイリュリア連王国を襲ったヴァレンタインという少女もまた、恐らく再び何かしらの動きをするはずだと言った、ソルの渋い顔を思い出すだけでも、決して手放しで喜べる状況ではない。


 だが、悪いことばかりでもなかった。
 今回のこの騒動で得られたものもある。
 Dr.パラダイムの率いるギアとの融和は最たるものだろう。
 きっと・・・きっと、このことには何らかの干渉があるに違いない。
 「木陰の君」の封印についても。


 だが、カイはどちらも譲る気はなかった。
 それが自分の正義だと、信じて疑わないから。
 もう迷いはない。


 ――――それと、もうひとつ。


「おい、カイ!」


 どたどたとせわしない足音とともに聞こえた威勢のいい声。
 カイはくすりとひとつ笑みをこぼして、ゆっくり振り返る。


「おや? どうしました、シン。母さんの様子を見に、帰ってきたのですか?」


「お、おう。まあ、そんなとこだ」


 照れくさそうに、ぶっきらぼうにうなずくシンは、間違いなくあの騒動の前はこんな表情を見せてはくれなかった。
 カイとシン。
 長く隔たれていた距離が、あの時を境に一気に縮まっている。
 自分は良き父親ではないと、今更これまでの至らなさが許されるわけではないと分かってはいるものの、それでもこうしてシンと時折言葉を交わせることは、カイの心に安らぎをもたらした。


「そうですか。では、母さんの隣でお茶にしましょう。『テメェ』の好きなベリーのフレーバーティを用意していたのですよ」


「あ、あのよ!」


「はい?」


 階下に続く階段を降りようとしたカイの肩を、不意にシンが掴む。
 何事かと首をかしげるカイに、シンは視線をそっぽに向けたまま、ぽつりとつぶやいた。


「もう、良いのかよ」


「え?」


「だから、体はもう良いのかよって訊いてんだ」


 カイは思わぬシンのセリフに大きく目を見開いた。
 相当そう訊くことには勇気が必要だったらしいシンは、苛々したように声を荒げた。


「後でオヤジに聞いた。お前、あの戦いのとき、左腕を怪我したんだろ? 俺と二人で戦ったあの時だ」


「ああ・・・」


 そう言えば、戦闘時は夢中になっていて気付かずにいたのだが、後でソルに指摘されて左腕を打撲していることが発覚したのだった。
 それを、シンが心配してくれた・・・?
 じわじわと湧き上がる喜びが、どうやら表情に出ていたらしい。
 口元の緩んだカイの表情を見た途端、対照的にシンの顔はしかめっ面になった。


「何だよ。治ったのかよ、治ってねえのかよ!?」


「大丈夫ですよ。怪我と言っても、それほど大したことはなかったのです」


 過保護なくらい手厚い手当てをしていった誰かさんのお節介のお陰で、すでに怪我は完治していた。
 どうやら一緒に行動を共にしていると、考え方も似てくるらしい。
そのことにもまた笑みをこぼしかけたが、シンの機嫌の損なうといけないので、慌ててカイはごまかすように咳払いをした。


「それより、シンは? 元気でやっていますか? ソルに我がままを言ったりしていませんか?」


「子ども扱いするなっての! 俺がオヤジの面倒を見てやってんだよ」


「ふふっ、そうですか」


 天真爛漫、という言葉のぴったりの、カイの「息子」。
 コロコロと変わる表情は、見ていて飽きない。
 今までこんなふうにじっくり彼を見たことはあっただろうか。
 近い立場にあるはずの家族なのに、こんなに近くに感じたことはなかった。


 ――――それにずっと気付かなかったのだから、私もとんだ「父親」だったんだな。


 人々のためだとか、国のためだとか。
 そんな理由は彼には通用しない。
 そのために犠牲になってきたのは、いつも彼と、そして「木陰の君」だったのだ。
 そのことに、今になって気がついたのだから、やはり父親失格だ。


「何ニヤニヤしてんだよ。、気持ちわりぃな!」


「え? あ、ああ。すまないな」


「ん?」


「?」


 何故かシンがじっとカイの青緑の双眸を見つめてきたので、思わずカイも同じように見返す。
 エメラルドグリーンの隻眼は、カイのものそっくりだった。


「どうかしましたか、シン?」


「あ、いや、何でもねえ」


「シン?」


「何でもねえっての! ああ、もう! 俺は先に母さんの所に行っているからな!」


 そう言って、来た時同様慌ただしくシンは階段を駆け下りて行ってしまった。


「一体どうしたんだ・・・?」


 一人取り残されたカイは、疑問符を頭上に浮かべるだけだ。
 そう、一人、のはずだった。
 だが。


「一瞬だけ敬語を忘れただろうが。それがあいつには新鮮だったんだろ」


「ソル!?」


 いつの間に、という言葉以外見つからない。
 気がつくと、展望台の先で深紅の衣裳を身にまとったソルが、肩をすくめて首を振っていた。声には出していないものの、そこには「やれやれ」と言った言葉が込められている。


「・・・ああ、さっきの」


 自分では意識していなかったので、初めは何を指しているのかが分からなかったが、きっとシンに対して短い詫びを言ったときのことだろうということが、ようやくカイの中で答えと結びついた。


「あれのどこに驚く要素があるというんだ?」


「ハァ、めんどくせえ。自分で考えろ」


 ソルは鬱陶しげに手を振った。説明する気は毛頭ないらしい。
 少しだけカイに対して心を開いたシンが、心の底では他人行儀な敬語を嫌っていることを、ソルは知っていた。
 だからこそシンは自分を、「あなた」ではなく、「オマエ」や「テメェ」と呼ぶようカイに要請したのだ。


 しかしカイはそのことに気が付いていない。
 確かに呼び方は変えたものの、敬語自体はそのままだ。
 普段丁寧な言葉遣いで、「息子」であるはずの自分にまで敬語を使ってくるカイが、唯一ソルに対しては敬語を使わないことも、シンは気が付いていた。
 カイにとって、ソルはそれだけで特別な存在だと分かる。


 ――――だったら、自分は?


 その問いをシンが抱えていることも、ずっと一緒に旅をしているソルには容易く察しが付く。
 だからきっと、カイがシンに対して一言でも敬語を使わなかったことが、彼にとっては嬉しかったはずなのだ。


 しかし、そこまで分かっていながらも、ソルは何も言わない。
 そんなことは、シンが直接カイに言えば良いのだ。
 余計なお節介を焼く気はさらさらなかった。


「まったく・・・」


 こうと決めたら梃子でも動かないソルの性格を熟知していたカイは、諦めのため息をついた。
 そんなカイに、低いソルの声が届く。


「それより良いのか?」


「何がだ?」


 真意を図りかね訝しげに眉を寄せると、ソルは無表情の中に、連王国王としてではない、カイという一人の人間を気遣うような色を浮かべたまなざしを向けてきていた。


「まだ言ってねえんだろ。あいつの父親は・・・」


「いや、まだあの子には早い」


 ソルの言葉にかぶせて、カイは強い口調でそれを否定した。


「『木陰の君』もあのような状態だし、もう少し時期を見て話そうと思う」


「・・・そうか」


 ソルはそれ以上何も言わなかった。
 一陣の風が二人の間をすり抜けていく。
 再び遊ばれた金糸の髪を整えながら、気を取り直すようにカイは首を振った。


「さあ、下できっとシンがむくれながら待っているはずだ。そろそろ行こう」


 くるりと踵を返し、階段を降りようとしたカイの肩に、不意にソルが手をかける。
 思わず足を止めたカイの隣をすり抜けながら、彼はぼぞりと一言だけ耳元に囁いた。


「今夜、部屋で待っていろよ」


「!?」


 息をのむカイを揶揄するようににやりと笑ってから、そのままソルは階段を下りて行ってしまった。
 彼の低音がまだ、耳元にまとわりついている気がして、しばらくカイの顔は真っ赤になったまま。
 もともとが真っ白な肌であるので、その火照りは内心の動揺を包み隠さず表していた。


「・・・っ、こんなところで言うな、馬鹿」


 舌打ちしながらここにはいない彼にそう呟く。
 だが、言葉ほど怒っていないことは、表情からすぐ見て取れる。
 ソルはカイにとって、本当の自分を見てくれる、唯一の存在なのだから。
 それでもいいようにからかわれた悔しさは消えず、


「馬鹿・・・」


 負け惜しみのように一言だけ、彼に対して恨み言を言ってから、カイは――――彼女は、ふわふわした足取りで階段を下りて行った。










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