トラブルチョコレート
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「カイさん!12日か13日空いてる?!」
「はい?」
2月に入ったばかりの季節。
示し合わせて入ったカフェでの会話第一声がソレだった。
ひょんな事から話は約10分前に遡る。
昼の休憩時間、久々に外で食事でも摂ろうとした所、前方に見知った人物がいた事が軽い
きっかけとなった。
街角にある割と大きな本屋の前で何やら難しい顔をしながら雑誌を見つめている。
1ページ1ページ進む事に表情は硬くなって行き、仕舞いには唸り出す始末。
最も人の視線等気になっていないのか、その行為は暫く続けられていた。
「メイさん?」
「うひゃぁ!?」
「?どうしました?」
余程驚いたのか、丸まっていた背筋をピンと伸ばし叫び声を上げるメイだったが、
カイだと確認するとほっと胸を撫で下ろした様だった。
「カイさんかぁ…、びっくりしたぁ」
「あ…すみません、驚かせてしまって」
「ううん!ボクも大げさに驚いちゃってごめんね」
「いえ、それは構わないのですが…」
そこで一回躊躇ってからカイはメイの持っていた雑誌に目を移す。
表紙には可愛らしく装飾の施された菓子の写真と大きな文字で「バレンタイン特集」と書
かれていた。
それだけで意図を察したカイは微笑みながら「ジョニーさんに差し上げるんですか?」と
だけ聞いた。
最初は照れた感じで小さく頷き、何かを思いついたのか突然カイの腕をつかみ
「カイさん!これからちょっとだけ時間ある!?」
「時間ですか?」
時計を軽く見やり、まだ余裕がある事を確認すると
取り敢えず此処ではなんですから、と近くのカフェへと促した。
そうして今に至る。
紅茶二つと軽い昼食を頼んでから、カイは目の前のメイを見やる。
茶色の瞳は真剣そのもので一体何なんだろうと言う前に頭の中でスケジュールの確認を軽
く行う。
12、13、14と予定を思い出しつつ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「確か12日は仕事です。13、14は空いていたと思うのですが…」
多忙という時期に連日休暇と言うのもどうかと思われたが、ベルナルドが影で細工をして
いた事をカイ本人は知らない。
事実13は兎も角、14は普段男装しているせいか、職員はおろか知らぬ女性からまでも贈り
物を貰う始末。
その度に断るやら何やらでほとほと困っていた所「何なら休んで下さい」と数年前から
13、14と休暇となっていた。
「…それ、本当?」
「ええ。…それがどうかしましたか?」
やたら笑顔になるメイにカイは疑問符を浮かべるばかりである。
そんな事も気にせずメイ本人は無邪気な笑顔を浮かべて注文した紅茶を飲みながら
「やだなぁカイさん、2月14日だよ?」
「あぁ…、バレンタインですね」
先ほどの表紙等を思い出しながらまるで人事のように呟くカイにメイはズイっと近寄って
から
まるで今から真剣勝負でもするかのように神妙な顔つきになり
「で、モノは相談なんだけど…」
「何でしょう?」
打って変わって言い難そうにするメイに出来るだけ優しく聞き返す。
先を急ごうとせず、じっと待っていると紅茶が入ったカップから手を離してカイの手を
ぎゅっと取ると
「カイさんはチョコレートケーキ、作れるって本当?」
少々圧倒されながらも「えぇ、まぁ…」と言う言葉とともにカイは頷いた。
高度のせいか、はたまた出ているスピードのせいか…
前方から凪ぐ強い風にソルは軽く目を細めた。
鬱陶しげに前髪を横へ流しながら、尻尾のように長く伸びた髪を風に任せて靡かせる。
前方に見える空、下に見えるは…巴里の町並み。
その一部をじっと凝視してからドカリと甲板の縁へと腰を下ろして見せるとある人物の表
情がふと頭を過ぎる。
「何を黄昏てるんだい?」
「…ぬかせ」
「見栄を張ることはない、誰だって愛しい人には傍に居て欲しいものだ…」
「…誰がそんな事言った?」
睨みとも取れるソルの視線にバサバサと黒いスーツと長い金髪を靡かせながらジョニーは
軽く肩を諌めて見せた。
相変わらず不機嫌を露にした表情を浮かべてから軽く舌打ちをするともう一度視線を戻
す。
「直ぐにでも会いに行きたいんだろう?」
「………」
「素直じゃないねぇ」
もう一度睨んでみてもジョニーは余裕を見せて笑うだけ。
下手すればこちらが手のひらの上で遊ばれている様な気がしてならない。
相手にしないが吉、そう自分に言うとソルはプイとそっぽを向いて何事も無かったかのよ
うに遠くを見つめた。
「そう言えば…もうすぐ乙女の行事だな。どうだ?想い人からは貰えそうか?」
「…さぁな」
興味なさそうにジャケットから煙草を1箱取り出すと慣れた手つきでソレを1本だけ取り出
し、
小さく法力の炎を召喚して火をつける。
肺に来るは煙草の苦い味。
…アイツとのキスはもうちょい甘かったな…
そんな事をぼんやりと考えていた。
「まぁ…先手は打ってあるから、あの愛らしいポリスに会いに行くのなら少し期待してい
るといい」
煙草の紫煙を吐き出しながらソルは繭を多少しかめ、何のことだと聞き返すものの
ジョニーはいつもの先の読めない笑顔を浮かべたまま「好き嫌いは言うなよ?」とだけ
言った。
「ところで経験は?」
「何回か…。ディズィーやエイプリルと一緒に作ったくらいだけど…大丈夫かな?」
「充分です。…時間はありますから、落ち着いてゆっくり…作りましょう」
「うん!よろしくお願いしまーっす♪」
2月14日。
数日前の約束で「チョコレートケーキの作り方を教えて欲しい」というメイの要望に
「ならば一緒に作りましょうか」と…言うことで今日は朝からメイがカイの家に来てい
た。
普段菓子類を作ることは無いのだろうか、メイの手つきは危なっかしく
小麦粉を篩う作業すら鬼気迫るものがあった。
が、真剣な表情からカイは思わず笑みを漏らしてしまう。
割と広いキッチンにはチョコレート(メイがこの日の為に買い込んだらしい)やブラン
デー、
小麦粉や卵などケーキ作りに必要なものが置かれていた。
いつもなら静かに行われる調理も、人一人増えたというだけで自然と明るくなるものであ
る。
細かく刻んだチョコをポウルに入れてゆっくりと湯煎で溶かすメイを横目で見ながら
カイは本体であるスポンジの作業の準備へと移っていた。
スポンジの生地となる淡いクリーム色の其れを慣れた手つきで混ぜながら、
そう言えばこうやってお菓子を作るのは何日振りだろうかと考えていた。
仲の良い客人等には手作りのクッキーやマフィン等を自慢の紅茶とともに奮っていたが、
いざ自分一人のティータイムとなるとそんな茶菓子に手間隙などかけてはいない。
クルクルとボウルの中の生地を混ぜながら記憶を遡って見る。
出てくるのは…ただ一人。
その「一人」を思い出してメイに気づかれないようにこっそりと溜息をつく。
3ヶ月前に出て行ったきり一度も顔を合わせていない。
勿論、職業柄上それは仕方のないことなのだけれど…どこか悲しいものが残る。
「カイさん!溶けたよ」
何分程考え込んでいたのだろうか、少し前まで刻み込まれていたチョコレートは今や溶け
た姿となっている。
数回頭を振って考えを消し、溶けたチョコレートを確認してから溶けたチョコをゆっくり
と生地と混ぜ合わせる。
「ゆっくり、しっかり混ぜてくださいね」
「気持ちを込めるんだよね?」
思わぬ言葉に少し戸惑ったが、メイのその言葉にカイは笑って頷いた。
要は気持ちの問題。
「ジョニーさん、メイを知りませんか?」
甲板で青い髪をなびかせながらディズィーが心配そうな声音でジョニーに尋ねる。
メイがどうかしたか?と尋ねると、「朝から見ないんです」とだけ言った。
「メイなら…多分今頃…」
言おうとして、やめる。
安心させるようにディズィーの頭を軽く撫でてから、ジョニーは心配要らないとだけ告げ
た。
ニッと笑むジョニーにチッと舌打ちを返すソル。
その二人を交互に見やり、ディズィーは疑問符を浮かべるしかなかった。
「できたぁ!」
「割と上手く出来ましたね」
「うんうん!これならジョニーも大喜びだよ!」
嬉しそうに笑うメイと心なしか安堵したカイの目の前にあるのはザッハトルテ。
張り切りすぎたせいか、少し作りすぎてしまい3ホールも作ることとなった。
少しやりすぎたか…どうにも苦笑を隠せないカイだったが、取りあえず上手く出来たこと
に微笑む。
「カイさん、有難う!」
「どういたしまして。お役に立ててよかったです」
持って来たのだろう、ピンクの長いリボンと白い箱にザッハトルテを入れて、器用にラッ
ピングしていく。
勿論、カードも添えて。
「良ければどうです?もう1つ。…私一人では2つも無理ですし…」
「いいの?」
「構いませんよ。皆さんと分けてください」
微笑んでもう1ホールを渡せば有難うと言って、先ほどとは違う装飾を施してゆく。
ここらが女の子ですねと…同じ同性の身で在りながら少し羨ましくなる。
「じゃあ…カイさん、今日は有難う」
「いえ、楽しかったですよ。皆さんにも宜しく伝えて下さい」
「うん!じゃあ」
笑顔で別れの言葉を述べてから慎重にケーキを運ぶメイを見えなくなるまで見送ってか
ら、カイは小さく溜息を漏らし
目線を…出来たばかりのザッハトルテに向ける。
全面をチョコレートでコーティングされたそれはいかにも美味しそう…なのだが、今の彼
女からすれば溜息でしかなかった。
「……どうしましょうか」
今日は2/14、乙女の浮かれるセントバレンタインデー。
目の前にあるのはチョコレートで作られたケーキ。
足りないのは…渡すべき相手。
軽く頭を振ってカイはそのケーキを冷蔵庫へと仕舞おうとした…時だった。
「誰に渡す気だ?」
背後から流れる、聞き慣れた低い声。
振り返るとそこには渡したいその相手がいて、思わずカイは名前を呟いた。
「ソル…」
「…あまったりぃ…」
匂いの事を言っているのだろう、ソルは僅かに眉を顰めてから指定席でもあるソファーへ
と乱暴に腰掛けて
視線のみをザッハトルテへと向ける。
若干不機嫌そうなのは気のせいだろうか。
「…毎回言うがドアから入れないのか?」
「あのガキが居ただろうが」
「…いつから居たんです」
「さぁな」
何事も無かったかのように新聞を広げ悠々と文字の羅列を追っていくソルにカイは小さく
溜息をついた。
メイが玄関に居た事を知っていると言うことは…大分前から外に居たことになる。
「で、それは誰に渡す気だ?」
ガサリと新聞から目を上げて今度は視線の先をカイへと向ける。
無表情に近い赤茶色の瞳からは何も読み取れずにカイは苦笑するしかない。
解っているくせに、わざと言わせようとするソルの小さな意地悪を敢えて黙殺で返して
「誰だと嬉しいですか?」と挑戦的に言ってみる。
「テメェが渡す奴ったら一人しか居ねェだろうが」
「目つきが悪くてぶっきらぼうで考えの読めない奴か?」
「………ったく」
たわいの無い会話。
強い力で引かれたのは、カイの細い腕。
前のめりに倒れるのを受け止めるのは温かな胸の中。
「俺以外に渡す奴なんかいねぇだろ、嬢ちゃん」
「自惚れるな。私だって一人や二人くらい…」
「居るのか?」
見上げれば意地悪そうに笑うソルが居る、当然のように落とされた口付けと反応はその答
えを充分に解からせる物だった。
顔を薄桃に染めたカイに構わず、ひたすら甘いキスを落としていく。
強引さや貪欲さの欠片の無い、それは部屋中に立ち込めたチョコよりも遥かに甘い。
「…食うか」
「え?」
「アレ」
軽く目線を流すソルの前には先ほどカイが作ったザッハトルテ。
「食べれるのか?」
「あ?嬢ちゃんが作ったんだろ」
不思議そうに問いかけるカイに対し、呆れたように返すソルは今更何言ってんだと言う表
情で見返す。
苦手なはずの甘いものを食べるといってくれている、手作りだからという理由だけで。
それだけで心のどこかがゆっくりと温かくなっていくのを確信しながら、カイは台所から
ナイフと紅茶、コーヒーを持ってきた。
「味見はしてないんですが」
そう言いながら手際良くケーキを切っていく。
ちょうど良い大きさのそれをお皿に移して渡す、自分の分も切ってテーブルに置く。
いただきますの言葉も無く其れをさらにフォーク適当な大きさに切り、ソルは口の中に入
れ
「…甘めェな…」
「…そうか」
「だが不味くはねェ」
それだけ言うとニヤリと笑って紅茶を置いたカイを再度引き寄せ先程とは違う濃厚なキス
を落とす。
「…っん…」
絡み合う舌の体温に混じる、チョコの味。
やっと唇が離されたのは息も絶え耐えでぐったりとした時だった。
「…余計甘ェな…」
軽く笑うソルにカイはバカとしか言いようが無かった。
其の頃パリの遥か上空。
メイは先程もらって来たケーキを食べながら、ジョニーの方へと見やる。
「ジョニー…、あの二人うまくいったかな?」
「勿論だろ?何の為にメイがあのポリスの所まで出向いてケーキを作りにいったんだ
い?」
朗らかな笑顔と確信犯的な口調でジョニーは言葉をつむぎ、窓の外を見やる。
メイもそれにつられて窓の外をみやり
「でも良かった。しっかりカイさんバレンタインの事忘れてるんだもん!
帰って来てチョコなかったらあのおじさん、絶対がっかりするよ」
「がっかりしているヤツも面白そうだ…が、まぁ作戦は成功だな」
「うん!」
こんな快賊二人の作戦が実は繰り広げられていた事は、ソルとカイは知らない。
Happy Valentine's Day