非日常的休日
「うわっ!」
角を曲がろうとしたところへ、ちょうど角の先から人が出てきて見事に鉢合わせてしまった。カイはとっさに腕を伸ばし、思い切り自分にぶつかって倒れそうになっている少女を支えた。
「大丈夫ですか? ・・・と、あなたは・・・」
「ごめんなさい、よく前を見ていなくて・・・って、あれっ」
顔を上げた少女は、カイと同じように目を丸くした。
「メイさん、どうしたのですか。そのように急いで」
腕に抱える格好になってしまった少女――メイを覗き込み、カイは訝しげな表情を浮かべた。
「今日はお一人ですか? 珍しくジョニーさんもディズィーさんも一緒ではないのですね」
「・・・家出してきたんだもん」
「えっ」
思いがけないメイの一言に、さらに虚を突かれるカイ。一方のメイはといえば、一足早く驚きから抜け出して、さらにとんでもないことを言い出した。
「ねえ、カイさんちにしばらく泊めてよ。ボク、家出したはいいけど、行くところがなくて」
「ええっ?」
おかしい、彼女は私が女であることを知っていただろうか? いいや、ばれていないはずだ。だったらどうしてこんな提案をしだしたんだ? 彼女は男の家に泊まることに何の抵抗もないのか。何てことだ! 最近の少女のモラルが低下しているとしか思えない。ジョニーさんは何にもそういうことは教えていないのか。そんなことで少年少女たちに未来を望めるというのか。否、ここできちんと教えておかなければ、彼女はまた過ちを繰り返すかもしれない。相手が私であったからまだ良かったものの、悪質な者に引っかかりでもしたら取り返しがつかない。
瞬時に頭の中で結論を出すと、カイは大真面目でがっしりとメイの肩を掴んだ。
「いけません! 女性が一人で男の部屋に入るなんて。あなたはまだ結婚前の少女でしょう。一つ屋根の下に男と女が二人きりなど、何が起きてもおかしくはないのですよ?」
「それってカイさんがボクを襲うってこと?」
「なっ、そんなことあるわけありません! そうではなく、私は一般常識を言っているだけで・・・」
「なーんだ」
「なっ、なんだとは何ですか!」
全く危機感の見えないメイに、カイはめまいを感じた。
最近の女子はここまで乱れていたとは! 平和な世になって、気持ちを緩ませてはいけなかったのだ。もっときちんと青少年の育成に力を入れねば。
カイの決意は固かった。
そんな彼女の横で、問題発言は続いた。
「ボク、浮気したかったんだよね。だからカイさんが襲ってくれると早かったんだけど」
カイはもう少しで、危うく封雷剣のケースを地面に落としてしまうところだった。
彼女は今なんと言った?
浮気がしたい?
襲って欲しかった?
メイの言ったことをゆっくり頭の中で反芻してから、カイの手は的確にメイの頬を捉えていた。乾いた音がその場に響き渡る。
「何ということを言うのです! 言って良いことと悪いことがあるでしょう!」
珍しく感情を露にしたカイと、自分の頬の痛みに、ようやくメイも我に返ったようだった。
「ごめんなさい・・・」
しゅん、と小さな肩を落としてうなだれた。
本気で考え抜いての言葉でなかったことに安堵しつつ、カイは一転して表情を緩めた。
「一体どうしたのですか? 元気がないなんて、あなたらしくありませんよ」
「・・・ジョニーと喧嘩したんだ」
「え?」
カイは目を見開いて、メイを見返した。
「喧嘩って・・・。またどうして・・・」
「だって、ジョニーは本当にボクのこと大切に思っているか、分からなくなっちゃったんだもん」
ため息交じりで、メイは素直に事の顛末を語った。
本当に大切に思われているのか。その疑問を投げかけたところ、ジョニーが意外にも「そんなこと聞くんじゃない」と強い口調で言い放ったのだという。
そこからはメイも記憶が曖昧になっているらしいが、とにかくショックで、気付いたら船を飛び出していた、ということだった。
「ジョニーさんはあなたのことを別に何とも思っていないのではないか、と考えて、飛び出してきてしまったのですね」
「うん・・・」
「そうですか・・・」
聞き終わったカイは、ふう、と大きく息を吐いた。
事の次第は分かった。今回ばかりは、カイはジョニーの気持ちが分かるような気がした。
「そんなこと聞くんじゃない」と返したのは、言うまでもなく、メイのことを大事だと思っているから、わざわざ確認するなという意味ではないのだろうか。
彼は家族をとても大事にしている。彼の家族は快賊団員、全員だ。その中の誰一人として、ないがしろにすることはないであろう。それは以前、とある事件で彼と対峙したときに身に染みて分かった。あの軽い調子が消え、本気を出すのはあの艇の皆を守るときだ。
そこまでは分かったものの、問題はメイだ。
いくらカイが説明したところで、彼女は納得できないのではあるまいか。彼女に今必要なのは、カイの説明などではなく、ジョニーからの一言である。
・・・仕方ない。
カイはおもむろに懐から通信機を取り出した。
「どうしたの?」
何をするのかと見守るメイの横で、カイは通信機に向かって話し始めた。
「もしもし?」
「あの、こちら、ジェリーフィッシュ団ですが・・・」
やや控えめな声が返ってきた。声は荒れているものの、聞き覚えがあった。前にもこの声が応対したような気がするが、この際声の主は誰でも良かった。
「そちらはジェリーフィッシュ艦体ですか? 私は警察機構のカイ=キスクと申します。貴船の乗船員、メイ殿の身柄は私が預かりました。返して欲しくばそちらにいる黒い帽子、黒い眼鏡、黒い衣服で居合い抜きが得意な目下指名手配中のフェミニストが迎えにいらっしゃい。以上です」
「えっ! ちょっと・・・」
相手からの返答など全く聞く余地もなく、言いたいことだけ言うとカイは通信を切ってしまった。それにしても、ひどいジョニー評である。何か個人的な恨みでもあるのだろうか。以前、無数のロボットに襲われた際、ジョニーは協力もせずにさっさと引き上げてしまったことがあったが、さすがにそれをいまだ根に持っているわけではない――――多分。
「カイさん!?」
さすがに驚いて目をむくメイだが、カイはにっこりと笑ってのけた。
「今のあなたに必要なのは、私ではなく、彼でしょう。だったら、速やかに迎えに来ていただきましょう」
「でも・・・」
「大丈夫です。彼はきっと迎えに来ますよ」
「居場所も教えていないのに?」
「あ」
しまった。
カイはうっかり待ち合わせ場所を指定し忘れていた。ついつい相手の指定に気をとられすぎていたらしい。もう一度連絡しようかと思ったカイだが、すぐに首を振った。
「・・・探し出してくれるのを待ちましょう。きっとそれほど遠くへは行っていないことは分かるでしょうから」
「本当に大丈夫かなぁ・・・」
「ええ・・・・・・多分」
カイの行動範囲から言って、この街から離れていないことは向こうにも分かっているはずだ。それに、本気で脅したわけでもない。メイを迎えに来させるための行動だということは、承知しているだろう。
そう考えて、カイはメイを見た。
「彼が本気になれば、私たちの居所などたちどころにばれてしまうでしょう。心配ありませんよ。それともあなたはジョニーさんを信用できませんか?」
「・・・ううん。信じる」
「では、大丈夫ですね」
「うん」
やっとメイに笑顔が戻った。つられてカイもほっと胸をなで下ろす。
「でも、変なの」
「何がです?」
「だって、ボクたち敵同士であるはずなのに、どうして前みたいに捕まえようとしないの? それどころかボクのこと心配してくれるし」
「言われてみれば、そうですね」
「もしかして、お休みの日は仕事をしないとか?」
「・・・そういうことにしておいてください」
ぼんやりとそう答えたものの、確かにメイの言う通りだった。以前の自分なら、これを好機とばかりに取り締まっていただろう。本気でメイを人質に、ジョニーたちを呼び出すことくらいは考えそうなものだ。しかし、今はそんな考え、浮かびもしなかった。言われてみれば、なるほど、奇妙なことだ。
「そっか・・・じゃあ、カイさんに会うには、お休みの日にすれば良いんだね」
「・・・そうですね」
時と場合によってはどうなるかカイ自身も分からなかったが、その思いは胸にとどめおいたまま、同意した。刹那、不思議なことにメイがふと表情を緩ませたように見えたのは気のせいだろうか。
――――その時、目の端に何か赤いものが留まった。
「あらあら、いつの間にか仲良しさんね」
カイがそちらを向いたと同時に、甘い声が二人の元に届いた。ねっとりとまとわりつくような声の持ち主は、いつからそこにいたのか、十メートルほど先にある木の上からひらりと舞い降りた。否が応にも視界が赤で染まる。真っ赤な短いスカートからすらりと伸びる白い太股と、大きく開いた胸元が蠱惑的な雰囲気を醸し出していた。
「あっ!」
「あなたは!」
メイにもカイにも、その女性には見覚えがあった。少し前、紅の楽師として方々で騒ぎを起こした張本人――イノである。カイも一度彼女とは剣を交えたことがあった。
「楽しそうね。私も仲間に入れてもらえないかしら?」
「馬鹿言わないでよ! あんたのせいでディズィーやみんなが大変な思いをしたんだからね! ボクは絶対に許さない!」
メイの目は敵意向き出しのままイノを捉えている。だが、イノはそれを平然と受け流すばかりか、可笑しそうに艶やかな笑みを口元に刻んでいた。
「ひどいのね。女同士、仲良くしましょうよ。ねえ?」
そう言って、流れるようにイノはカイに視線を移した。
どういう経緯で知るに至ったかは不明だが、イノはカイが女であることも、それを隠していることも知っている。今のところ彼女が誰かに漏らして混乱が起きたことはないが、今後もそうであるとは限らない。一瞬の油断が命取りとなる。歴戦の戦士は幾多の経験から、彼女が自分にとって一番の危険人物であることを十分すぎるほど感じ取っていた。
カイはきゅっと唇を結ぶ。
「少し遊んであげるわ。いらっしゃい」
言葉とともに、イノは人気のない森のほうへ進んでいく。
「待て!」
「あっ、メイさん! いけません!」
イノの後に続いて走り出したメイを、カイは慌てて追う。彼女のこと、またろくでもないことを仕出かすに決まっている。罠を張ってメイを待つイノの図が容易に想像できた。
しばらく森を奥に行くと、急に視界が広くなった。そこだけ森がくり抜かれたように木は無く、代わりに古い建物があった。ツタの葉が煉瓦の外壁を巡り、全体的に妖気でも発していそうな建物であったが、昔は人が住む屋敷であったらしいことだけはかろうじて分かった。
かたく閉ざされていたはずの門扉は何故か開け放たれていた。何の疑いもなく、イノの後を追ってメイが最初にその門を抜け、カイもまた続いた。
重厚そうな入り口のドアも楽々と侵入者を招き入れる。
入ってすぐのところにイノは立っていた。
「ここまでだよ!」
「ふふ。良くここまで素直についてきたわね。それは褒めてあげる」
入り口から差し込む光以外、明かりは一片もない。だから、イノの表情を見て取ることは不可能だ。光を背にしているため、余計中は暗く感じられる。
「でもね、よく考えたらそんなに暇もなかったのよね。手っ取り早く済ませて帰らなくっちゃ」
「何言ってんのさ! 見逃すはずないでしょ!」
「メイさん、待ってください! 危ないですよ」
静止を求めるカイの声は、残念ながらメイには届かない。
イノが間近にいることで、何となく中は安全な気になっていたのは、メイだけではない。怪しいと感じていたカイでさえ、うっかり屋敷の中へ足を踏み入れてしまった。
「さあ! 覚悟!」
「ごめんなさい。残念だけど・・・」
おもむろにイノは右手をあげた。
「ここまでよ!」
「!?」
イノの手が振り下ろされたのと同時に、ちょうどメイが立っていた辺りの床だけが突然何の前触れもなく口をあけた。足場を失った少女の体は、奈落への道を拒まなかった。
「きゃあっ!」
「メイさん!」
カイはとっさに手を伸ばし、小さなメイの手をつかんだ。だが、思いのほかその衝撃は強く、バランスを崩してしまった。
「くぅっ・・・」
何とか体勢を立て直し、メイを引き上げようとするカイ。
しかし。
「仲良く、一緒に行ってらっしゃい」
前にいたはずのイノの声が背後から聞こえたかと思うと、カイは背中に重い一撃をくらった。
「うわっ!」
前のめりになったカイは、何の抵抗もできず、メイとともにくらい穴の中に飲み込まれていった。
「――――気がつきましたか?」
メイが目を覚ますと、青白く浮かんだ心配そうなカイの顔が飛び込んできた。数度瞬いて左右に首をめぐらせてから、ようやく現状を把握したようだった。
周りが青白く見えたのは、カイが法力で作った灯りだ。その他の照明はなく、後は冷たい壁が四方を囲んでいた。天井が開いたままだということが、かろうじてうかがい知れた。
「怪我はありませんか?」
「あ、うん。平気・・・」
立ったり手足を動かしたりして以上が無いことを確認し、カイにうなずいてからメイはため息をついた。
「逃がしちゃったな・・・。今度こそとっちめてやろうとしたのに」
「彼女は・・・確かディズィーさんに危害を加えたとか」
「そう。本当に大変だったんだよ。ディズィーだって傷ついたし」
その時のことを思い出したのか、メイの拳が怒りで震えている。
「許せない、絶対に・・・」
言葉からは並々ならぬ覚悟が感じられた。
それを横目で見ながら、カイは自分と同じ思いを抱いている少女に、別の話題を切り出した。
「とりあえず、今はここから出る手段を考えましょう」
「あ、うん。そうだね」
鬼気迫るような表情が消えたことにほっとしつつ、考えるときの癖でカイは口元に手を当てた。
「何か外部と連絡の取れそうなものはありませんか?」
「ううん・・・。そっちは? さっきの通信機が使えるんじゃない?」
期待を込めた言葉は、カイが首を振ったと同時に否定された。
「残念ながら、落ちた衝撃で駄目になってしまいました」
粉々になった通信機を見、二人は同時に落胆の色を浮かべた。
「参りましたね。脱出しようにも、この壁を登るのは大変でしょうし・・・」
四方の壁は表面が滑らかで、登るための足場の確保が非常に困難だった。
「幸いだったのは、この落とし穴の底に仕掛けがなかったことですね。何かトラップがあったら、ひとたまりもありませんでしたよ。最も、何のためにこのようなものが作られたのかはさっぱり分かりませんが」
「うん・・・。でもホント、どうやってここを出よう? こんなところ、誰も入ってこないよ」
「そうですね・・・」
カイは天井を見上げた。七、八メートルほど上にある脱出口は、果てしなく遠く感じられた。
カイとメイはどちらからとも無くため息をついた。
「・・・ジョニー、見つけてくれるかなぁ」
膝を抱えたメイが独り言のように呟いた。
「ボクはジョニーにとって本当に大切な存在かな・・・」
「心配ですか?」
「うん・・・」
しょんぼりとうなだれるメイに、カイは思わず笑みをこぼした。
「む・・・どうして笑うのさ。真剣に悩んでいるのに」
「いえ、すみません。でも、私は心配する必要はないと思いますよ」
「なんでそんなことが言えるの? 脅迫したから?」
カイはメイから視線をはずし、少し躊躇った後、口を開いた。
「・・・以前、私はあなたを警察機構へ連行するようにと命じられたことがありました」
「何、それ・・・!」
初めて知る己の危機に、メイは目を瞠った。
「あ、もちろん、今は取り消されていますので、ご安心を」
自分に向けられた警戒心を感じたカイは、危害を加えるつもりはないとアピールするために、両手を軽く挙げた。
「私にも不可解な命令でしたが、ともかく私はジョニーさんにあなたの身柄の引渡しを要求しました。結果は・・・ずっとあなたが団にいられたことから、分かりますね?」
「・・・・」
「本気で追い返されましたよ。いつもは飄々としているのに」
「・・・知らなかった、そんなこと」
カイの言葉を信じきれないのか、メイは瞬きすることも忘れて呆然としている。
「ジョニーが・・・」
「はい。彼は本当に団員の皆さんを大切に思っているのですね」
ジョニーはどこか得体の知れないところがある。真意をなかなか見せず、カイなどは彼を相手にするのが正直苦手だ。その彼が、あの時ばかりは本心を隠しきれずにいた。カイの話に余裕を保てなかった様子であった。あの反応に、嘘や偽りはなかった。
「そっか・・・そうなんだ・・・」
手を頬に当てたメイの表情は、徐々に照れ笑いを作り出した。
「何か、嬉しいな・・・。って、ボクだけ特別扱いってわけではなさそうだけどね」
てへへ、と付け加えるのを忘れない。
「・・・今頃ボクのコト捜しているかなぁ。実は今日食事当番だったんだよね。みんなに悪いことしちゃったな・・」
「そうですね。そろそろ日が暮れる頃でしょうから・・・」
懐中時計を取り出し、時刻を見て思わず肩を落とすカイ。
今日は久々に休みが取れた日であったが、珍しくソルが訪ねてこなかった。自分でも驚くほど気落ちしたまま、気晴らしのため散歩に出て今に至っていた。悪いことは重なるものだ。
休日イコールソルが来るという、最初は考えられなかった状況が積み重なっていたために日常化していたが、考えてみたらソルが訪ねてくる保障などどこにもないのだ。
失望感を抱いている自分がおかしく思えた。
「・・・カイさん?」
考え込んでしまったカイに、メイは顔を覗き込んできた。
「あ、す、すみません・・・」
「ううん。あーあ。ジョニーが捜してくれているかもしれないっていうのに、ボクは自分の居場所を伝えることもできないなんて・・・なんか悔しいな」
「え?」
居場所を伝える?
何気なく口にしたメイの一言に、カイははっとした。
「それです!」
「えっ?」
急に大きな声を上げたカイを、メイは驚いた顔のまま凝視する。
「どうしたの? 急に大きな声出して・・・」
「そうです。どうして気がつかなかったのでしょう。・・・メイさん、近くに封雷剣が落ちていませんか?」
「あ、うん。これだね」
疑問を抱いたまま、メイは近くに落ちていた剣を拾った。
「ありがとうございます。これで居場所を伝えられるかもしれません」
「ホントに!?」
ぱっと一気にメイの表情が晴れる。
「ええ。ジョニーさんが気付いてくれると良いのですが・・・」
カイは壁を頼りに立ち上がると、使い慣れた剣を自分の正面に構えた。
「少し離れていてください」
「う・・・うん」
精一杯カイとは逆の壁に寄りかかりながら、メイはうなずく。これからどうするつもりなのかと、好奇心と不安感をない交ぜにした視線をカイに送っている。
ひとつ大きな息を吸い込むと、カイは自分の法力を剣に集中させた。
「!」
間をおかず、剣から青白い光が爆ぜ始めた。カイが得意とする雷攻撃で、この落とし穴を屋敷ごと吹き飛ばすつもりなのか、とメイが危惧した瞬間。
「今だ!」
カイは天井に向かって封雷剣を振り上げた。
「スタン・エッジ!」
本来向かってくる敵に対して繰り出される雷の塊は、一直線に落とし穴から屋敷本体に飲み込まれていった。もう住み手もいないようであるから、屋敷が壊れても困る者はいないだろうが、なんとも荒っぽい行為だ。
大きな音がした後、メイの頭にはぱらぱら屋敷の資材が落ちてきた。
「屋敷を壊すつもりなの?」
「乱暴なやり方であることは認めますが、そうではありません。今のは屋敷を貫いて外に出たはずです。あとは、これが合図となってくれることと、屋敷が先に壊れないことを祈るだけですよ」
カイはもう一度同じことをした。雷の威力は調節しているものの、屋敷を貫き通すほどの攻撃をくらい続けると、屋敷自体つぶれてしまう心配は確かにある。だが、カイにはこの方法しか思い浮かばなかった。
カイは天井を見、上の様子を窺う。
「頼みますよ。気がついてください」
「お願い、ジョニー!」
祈るような二人の視線を受ける落とし穴の入り口は、しかし、相変わらず暗闇の中にぽっかりと浮かんでいるのみだ。
しばらく待ってみたが、助けが来るような気配はない。
「そんな・・・」
「大丈夫です。もう一度行きます。今度こそ、気付いてくれるはずです」
がっくり肩を落としたメイを励ますように言ってから、カイはまた剣を構えた。激しい爆音はしたはずだし、閃光だったら遠くからでも分かるはずだ。空が暗くなり始めている今なら、昼間よりは確実だ。
諦めてはいけない。
「いきます。スタン・・・」
その時、上のほうで物凄い爆発が起きた。
「わわっ!」
カイはとっさにメイに覆いかぶさった。一陣の風と、何かの破片が二人の頭上から降り注いだ。
「何でしょう、今のは・・・」
状況が分からず、カイは一瞬屋敷が耐えきれずに崩れてしまったのかと思った。
ゆっくり身を起こしたとき、聞いたことのある声が耳に入ってきた。
「おーいっ、メイ! どこだ!?」
「!」
入り口付近から飛んできた声に、メイは素早く反応していた。
「ジョニー!? ここだよ!」
「メイ!?」
暗闇の向こうから、メイにとっては待ちに待った人物が顔を出した。もともと黒い衣装の彼だが、上でも明かりを持っているのか、薄まった闇の中で何とか顔を判別することはできた。
「良かった・・・」
「メイ、無事か?」
「うん! ゴメンね、ジョニー」
「今はその話はなしだ。ロープを下ろすぞ」
用意がいいことだ。どんな事態を想定していたのか、ジョニーはするすると持ってきたロープを寄越してきた。
「メイさんが先に」
「いいの?」
「もちろんです。さあ、早くロープを掴んで」
「うん・・・ありがとう」
ロープをメイの腰にしっかり結んでから、カイは上へ指示を飛ばした。
「大丈夫です。ジョニーさん、引き上げてください」
「よし」
ジョニーはその合図とともに、軽々とメイを引き上げる。一人で苦もなく引き上げられるとは、何たる怪力。彼は意外と力持ちだったんだな、と一人ごちるカイ。あ、でもメイさん相手だから、特別なのかもしれない、とさらに付け加える。
そんなことをしている間に、メイは無事落とし穴から抜け出せたようだ。嬉しそうなメイの声が聞こえてきた。
良かった、とほっと胸をなで下ろすカイ。
「次はアンタだ」
ジョニーは、カイのことも忘れていなかったようで、ちゃんとロープがカイの元に下ろされた。
「私も助けていただけるのですか?」
「俺に無断でうちのお姫様とデートしていたのは許せんが、メイを助けてくれたのも事実だ。さ、掴まんな」
「・・・ありがとうございます」
ジョニーの過保護さぶりを垣間見て苦笑しつつ、カイはロープを掴んだ。命の恩人、封雷剣も忘れてはいけない。
「お願いします」
声をかけるとすぐに足が地を離れた。
先程も思ったが、ジョニーは物凄い勢いで引き上げている。もしかしたらメイも手伝っているのかもしれないが、それを差し引いても強い力である。彼がそこまで力持ちだったとは、これは認識を改めなければならない、とカイは思わず感嘆した。とんでもない怪力である。
脱出口はぐんぐん近付いた。
もうすぐ出口だ、というところで突然、カイは何者かに腕をつかまれた。
「な!?」
驚いている間に、カイは急に出てきたその手に助け出されていた。自分の腕を掴んでいた人物を見、さらに青緑の目を丸くする。
「ソル!? どうしてここに・・・」
いるはずのない男の絶妙な登場は、カイから言葉を奪う。まるで幻を見ているようにさえ感じられた。
カイの疑問には、ソルに代わってジョニーが答えた。
「メイを探しているときに、アンタを探しているコイツと、すぐそこで会ってな」
「では、さっきの大きな爆発音は?」
「ああ、ここのドアをぶち壊したのさ。頑丈で鍵もかかっていたからな」
どうやらイノはご丁寧にも戸締りに気をつけてくれたらしい。馬鹿にしている、といっそう悔しさが浮かぶ。
そんなカイの隣で、ジョニーはメイに向き直る。と、
「この馬鹿野郎! 心配かけさせやがって!」
「ご、ごめんなさい・・・」
滅多に見ることのない本気で怒っているジョニーに、メイは言うまでも無く、カイまで思わず身を震わせた。それほど仲間の身を案じていたということだろう。脅迫相手がカイだけに、本気で連行されたと思ったのかもしれない。冗談だと解釈してくれるとばかり考えていたが、先日のことを思うと少し軽率な行動だったなと、カイは少し反省した。
今にも泣きそうなメイに気がついたジョニーは、帽子の下の頭をかいた。
「まあ、とにかく。無事だったことだし、帰るぞ。食事当番」
「う・・・うん!」
ジョニーが手を差し出すと、一瞬でメイの悲壮感は綺麗に払拭された。端で見ていても和む光景である。
「で、お前さんたちはどうするんだ?」
「え?」
言われてはじめて気がつく。カイはいまだ黙ったままのソルを仰いだ。そういえばどうしてここに現れたのだろう。ふと疑問を抱いたところで、ふとある人物の顔が浮かんだ。
「そうだ! お前、紅の楽師を追わなくて良いのか?」
「は?」
カイの言葉にはソルだけでなくジョニーも首を傾げる。すると思い出したようにメイも「そうだ!」と叫んだ。
「ディズィーを散々苦しめたあいつが現れて、ボクらをここまで連れてきて落とし穴に落としたんだよ」
「彼女の言う通りだ。あの女は私たちを落としてから姿を消した。早く追わないと遠くへ行ってしまうぞ」
「・・・・・・」
真剣に言ったつもりだったが、ソルは無言のままカイを担ぎ上げた。
「うわっ! 何をするんだ」
「黙ってろ、怪我人」
「!」
「怪我って・・・カイさん、どうしたの?」
カイは自分の右足に意識を向けた。落ちたときに着地に失敗して捻挫したらしい。メイをかばうのに精一杯だったことはここだけの話だ。
最初はたいしたことはないと思っていたが、今は熱を持って鈍い痛みを生み出している。顔には出さないようにしていたというのに、ソルにはすぐさま見破られてしまった。何となく、あたたかい気持ちが広がる。
心配そうに寄ってきたメイに、カイは穏やかに微笑した。
「たいしたことはありません。少し捻っただけですから」
「でも・・・」
「私の不注意ですから、どうかお気になさらずに」
なおも心配そうな表情のメイだったが、カイの微笑の前にうなずくしかなかった。
「良かったですね。これで分かったでしょう? ジョニーさんはあなたのことを本当に大切に思っているって」
「うん!」
これには明るい声が返ってくる。その横で「あんな脅迫まがいのことをしやがって・・・」と黒い帽子、黒い眼鏡、黒い衣服で居合い抜きが得意な目下指名手配中のフェミニストは、散々ぼやいていたが、それにはあえて聞こえないふりをする。
「・・・もういいだろ」
「あ、ああ・・・では、お二人とも。あ、紅の楽師のことですが、くれぐれも気をつけてくださいね」
ソルの肩の上から変な体勢のままカイは頭を下げた。
相手の返事も待ってもらえず、半ば連れさらわれるような形で、この屋敷を後にした。
「何か、あの二人の関係って・・・前と変わったよね・・・?」
「ん? ああ・・・。なんかありそうだな」
などという会話が交わされていたことなど、カイは勿論、ソルも知る由はなかった。
「ちょっと、ソル! もう大丈夫だから、おろしてくれないか?」
人通りの少ない帰路、カイはソルに抱えられたままだった。何度言ってもソルは聞かず、まっすぐカイの家を目指している。
結局、ソルの肩に担がれたまま家に帰った。
玄関のドアを開け、廊下を抜け、リビングに到着したところで、やっとカイの足は地を踏んだ。右足に痛みが走るが、それほどではなかった。
――――ソルの表情を見てしまったら。
「・・・ソル・・・?」
カイにとっては彼がそんな表情をすること自体、信じられなかった。
苦しそうに顔を歪めているソルは、どこまでも痛々しく、理由を問うことさえ忘れさせた。言うまでもなく、こんなソルを見るのは初めてである。
カイが何か言葉を発する前に、ソルはカイをソファの上に押し倒した。
「えっ・・・!」
戸惑うカイには構わず、細い体を軽々と反転させると、容赦なく服を引き裂いた。その下にまかれている晒しまで簡単に取り払ってしまい、ソルの目の前には真っ白な背中が露になった。
「一体、どうしたんだ・・・?」
うつ伏せになって首をめぐらせると、ソルは背中を凝視したまま動かない。
「ソル?」
にわかに不安を掻き立てられ、自分の背中に何かついているのかと、できる限り首をねじる。だが、大きく裂けているだとか、変わった模様がついているだとか、これといっておかしな部分は見当たらない。
「?」
疑問をぶつけようと身を起こしたカイの背に、生暖かい感触が当たった。
「えっ・・・?」
自分の背中にソルの舌が這っていると気付いたカイは、思わず起こしかけた身を再びソファに沈めてしまった。
「急に一体・・・何か背中に・・・?」
「・・・痣ができている」
「あ・・・」
そういえば落とし穴に突き落とされた際、イノから背中に一撃食らっていた。確かに痛みはあったが、右足の痛みの方に意識が行っていたので、すっかり忘れていた。言われてみると痛いかもしれない。
「そうだったな・・・っ。だからって、どうして分かったんだ・・・?」
先程の右足といい、いくらカイは平然を装うのが下手だといっても、一目見ただけでどこを怪我しているのか、果たして分かってしまうものだろうか。
ふととある考えが首をもたげてきて、カイは顔を上げた。
「・・・もしかして、彼女に会ったのか?」
「・・・・・・」
ソルの動きが止まる。
「私が休みだったのに来なかったのは、来なかったんじゃなく、来られなかったのか?」
「・・・・・・」
「ソル・・・」
ゆっくりとカイは起き上がった。黙ったままの男の、こわばった頬に触れる。
「前にも言ったかもしれないが、お前の沈黙は肯定と同じ意味に取るぞ。・・・単に、気まぐれで来なかったのかと思った。少し、がっかりもしたな。知らなくてすまない」
「・・・俺の傍を離れるな」
「えっ・・・」
カイの手をそのままに、ソルはそっと起き上がったばかりの背中がはだけた体をソファに戻した。目を見開いたカイは抵抗することを忘れていた。
「それは・・・」
「もし嫌だと言うなら、てめぇをここで殺す」
「な・・・」
急にソルの目が剣呑な光を帯びたかと思うと、無骨な両手がカイの細い首にかかる。
「ぐっ」
手に力が入り、息が詰まる。
突然どうしたというのか。
訳が分からずソルを見ると、思いのほかソルの赤茶の双眸はカイの目の前に迫ってきていた。
「どう・・・し・・・」
「どうするか、てめえが選べ」
「あ・・・わたしは・・・」
息を詰まらせながらも、カイは何とか一言告げなければ、と必死で口を開く。
「わたしは・・・お前を・・・っ」
最後のほうは声になっていなかった。それでも、次の瞬間にはソルの手は力を緩めていた。ようやく自由に呼吸ができるようになり、ほっと息をつくカイ。
だが、呼吸を整える暇もなく、唇をふさがれてしまった。
「!」
苦しいからと、じたばたもがいてみるものの、ソルがその行為をやめるはずもなく、さらに奥まで侵入されてしまった。顔を背けても必ずその後を追ってきて、逃してはくれない。
「んっ・・・」
空気を求めるために口を開いたというのに、代わりにソルの舌が入ってきてしまい、さらに息ができない。苦しさに眉をしかめる。
「ちょっ・・・まっ、た・・・」
唇を舐められ、歯列をなぞられ、舌をくすぐられ・・・。息苦しさよりも大きくなっていく感情をもてあまし、カイは困ったように抵抗をやめた。
「・・・・・・」
どんなに時を重ねただろう。ゆっくり顔を離したソルをぼんやりとカイは見つめた。
「彼女に何か言われたのか?」
「・・・・・・」
「・・・お前の沈黙は肯定だったな。何もなかったんだから、心配するな。それよりお前のほうはどうなんだ? 怪我は?」
問いかけはするものの、相変わらずソルの口数は少ない。どうしたものかと首を傾げたカイだったが、
「そうか!」
ポン、とひとつ手を叩くと、今度はカイがソルの背中をまくった。
「やっぱり・・・」
広い背中には大きな痣ができていた。青紫色が大変痛々しい。
「・・・ということは」
カイはソルの右足を触った。案の定、包帯の感触が伝わる。
「全く同じ怪我を負ったということか・・・」
「・・・ちっ」
舌打ちして顔をそむけるソル。何となく話が見えてきた。
「つまり、お前も彼女の罠にはまり、その際背中と右足を負傷した。そして彼女は私に同じ怪我を負わせてやる、とでも言ったのか?」
「・・・正解だ」
憮然とした表情でソルがうなずいた。なるほど。これならば一発で怪我を見破ったのにもうなずける。
「それで、心配してくれたのか」
「・・・・・・」
「ありがとう・・・」
でも、とカイはソルをまっすぐ見据えた。
「お前が心配しなくても、私はそんなに簡単にやられはしないさ。今回はまぁ、やられたが、でも毎回やられっぱなしではいない。今度こそ、あの楽師を・・・」
「・・・それは俺の仕事だ」
「それでも、私だって引くつもりはない。お前に心配ばかりかけているのは嫌なんだ。私も戦える。守ってもらうばかりの存在などごめんだ」
珍しくカイがソルを押し切った。
ソルにはいつも知らぬうちに迷惑をかけていることを、カイは十分承知していた。子ども扱いされたくないと思っているのに、ソルとは埋められない溝を感じるときがある。
それは仕方ないと、最近になって思えるようになってきていた。元々の性格の違いなのか、過ごしてきた年月のせいか。とにかく自分とソルは違うのだ、と今になってようやく理解できたのだ。
――――それでもソルは自分を選んでくれたのだから。
だから、せめてソルの足を引っ張る真似だけはしたくなかった。そんなことになったら、きっと色々なものを捨ててしまっても構わないと思うだろう。
それほどソルの存在はカイの中で核をなし始めていた。
「もし立場が逆だったら、心が潰れそうになったかもしれない。心臓に悪いだろうな」
口元に苦笑いを浮かべ、カイはソルを真正面から見据えた。
「お前の傍にいたい。本当に、脅迫されているからじゃなくて」
背中の裂けた部分からソルの手が服の中に入っていくのが分かった。それでも離れる気にはなれず、カイはうっすらと赤く染まった顔をソルの首にうずめていた。
「・・・カイ」
「ん・・・?」
不意に名前で呼ばれて顔を上げる。
ソルは自分の肩にカイの顎を押し付けるように抱き寄せた。
「・・・え? どうした?」
首を傾げるカイの耳元にソルは口を近付ける。
「――――」
たった一言がカイの耳朶を打つ。
「!?」
ゆったりとソルに身を任せていたカイは、その一言だけで凍り付いてしまった。
「な・・・お前。今の、聞き間違いじゃないよな?」
「てめえの耳がふさがっていなけりゃな」
「・・・・・・」
カイの驚きがソルの機嫌を損ねてしまったらしい。分かっていながらもカイはしばしの間、頭の中でソルの言葉を反芻していた。
時間が過ぎ、照れ隠しに苛立っているソルを見ているうちに、それが嘘ではなかったと確信できた。
傍目から見ても――と言っても、今ここにはソルしかいないが――怪しいと思われるのは必至だ。だが、カイは口元に浮かんでくる、笑みをこらえ切れなかった。
ソルの背に手を回し、腕に力を込めて彼にしか聞こえないように呟いた。
「――――私も、お前を愛している」
舌打ちしたソルに吹き出しながら、カイは目を閉じて、こみ上げてくる幸福感をただ愛しそうに胸に抱いた。