炎の底




「――――ちっ」
 使い慣れた大剣を地面に突き刺すと、ソルは深く息を吐き出した。今しがた仕留めた賞金首の一団が、赤々と炎に包まれているのを恐ろしいほどの無表情で見つめている。踏みしめる大地には、戦いの面影を残すようにおびただしい血が染み込んでいた。
 何人もの人間の無念を訴えるように、その真っ赤な模様は見る者を震え上がらせるに十分な毒々しさを持っている。
 だが、ソルは全くそれに心を動かされた様子もなく、ただ機械的にそれを視野にいれるのみだ。
「バケモノめっ・・・!」
 一団のうちの誰かが、今わの際に口走った叫びが、何故かいやに脳裏に焼きついていた。
 今さら言われたところで、気に留めるほどのことでもない。普段ならばさらりと流す言葉だ。それなのに、どうしてそんなことが頭の中をめぐっているのか。
 忌々しく叫んでいた男の顔が浮かんだ。
 賞金を掛けられるほどの行いをやってきているくせに、自分が襲われることに対しては人並みに憎しみを抱くらしい。血走った目で、あらん限りソルを睨んでいた。
 ――――そうか。
 ソルはその原因に行き当たった。
 自分もいつの間にか甘くなったと眉を寄せる。どうしてそんな風に思っていたのだろう。
 手についた血は消えない。染み付いた戦いのにおいも、身に付きまとう過去の罪業も、今さら何もなかったようにすることはできない。
 そんなことは、誰でも分かることだ。
 にもかかわらず、ソルにはどこか遠いところのものになっていた。誰に言われなくても、それらは勿論前と同じようにソルの肩に大きくのしかかっている。
 だがそれでも、近頃は軽くなったような気がしていたのだ。
 ――――原因はあいつ。
 元聖騎士団団長、現在は国際警察機構長官と言う立派な肩書きを持っている、男装の麗人。
 己の正義に忠実で、潔癖、常に正しくあろうとし、それを犯すものを絶対に許さなかった。人の上に立つ者として、人の命を守るためにはそうあるべきだと信じて疑いもしなかった。
 ソルは、自分の正義を押し付けてくるカイが煩わしかった。誰もが同じ型に入るわけではない。そのことを、かつての彼女は分かっていないようだった。
 自分を疑わない、馬鹿な小娘・・・。
 それが、今はどうだ。
 聖戦終結を導いた後も、彼女の双肩にかかる使命の重さは変わらない。彼女に向けられる周囲の期待と反感も、まるで変わらない。
 変わったのは彼女自身――――
 何が彼女を変えたのかは、彼女自身しか知らない。
 彼女は今も変わり続けている。
 自分の奇妙な変化も、その影響なのだ。
 そう、あいつが全部悪い。
「・・・・・・」
 ソルは昨日、彼女の家に寄ったときのことを思い出した。
 自分がわけの分からない感覚に陥っている最大の原因は、彼女が言った、たった一言。
 いつものように、主の了承を得ず、彼女の家に入ったときだ。いつもより早く仕事が終わったらしく、もう彼女は家の中にいた。
 ソルの顔を見るなり、また非難の声のひとつでも飛んでくると思いきや、彼女は実に意外なことを言ったのだ。
「おかえり」
 またお前と言う奴はそうやって勝手に入って・・・。
 いつもはしかめっ面でそう言ってため息をつく。
 それが、だ。
「――――」
 思いがけない一言に面食らったソルに気がついたカイは、照れたように目を伏せた。自分でも、あの一言を言うのは勇気が必要だったのだろう。ほんのりと頬が赤く染まっている。
「ど・・・どうせ何度言ってもお前は勝手に入ってくるんだ。別にお前がここへ来ることが嫌じゃないし、いつもここへ来るんだから、それなら、と・・・」
 ぼそぼそと一生懸命つむぐ言葉も、ソルの耳には殆ど届いていない。
 ――――たった一言だ。
 久しく聞かなかったからかもしれない。
 ソルにはその一言は、まるで自分の居場所を認められたように思えたのだ。
 帰ってくるのを許された場所。
 思えば、こんな感傷に浸るのは、その一言が引き金だった。
 バケモノなどと、言われたところで今さら何の感傷があろうか。
 そんな感覚はとうの昔に、完全に麻痺した。
 だが、その感覚を呼び覚まそうとするものがあるとすれば、間違いなくそれは彼女の存在だ。
 業の重さは違えど、彼女もまた、血に染まった側の人間。そこから逃れることは、戦う意思を固めたときから、もうかなわない。
 だからだろう。
 彼女を求めて触れて抱けば、この手についている血も、彼女の手を染めている血と混ざって、それを彼女と共有しているような気になった。
 それで、賞金首の捨て台詞が引っかかったのだ。
 バケモノとは、自分のことだけではない。即ち・・・。
 ――――我ながら、柄ではないと思った。
 ソルは眉を寄せた。ふと浮かんだ考えに、らしくないと首を振る。
 目の前で燃え盛っていた火は、まるでソルの感情を表しているかのように、勢いをなくし、小さくなっている。最早、何が燃えているのかも分からない。
 ・・・自分がバケモノならば、彼女もバケモノ。
 同じバケモノならば、それも良い。
 本当に、自分でも信じられない考えだった。
 不意に吹き付けた強風に、最後のともし火が容赦なくかき消される。地面に黒い影を残しただけで、見事に何も残っていなかった。
 ソルは突き立ててあった剣に手をかけた。
 目の前の出来事など、全く知らないかのような顔で、歩き出す。
「――――ちっ」
 どうかしている、と自分を評したソルは、大きな舌打ちだけそこに残して、振り向くこともなく、足早に去っていった。



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