異国より
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「ふう・・・」
出張先の、異国の地。
大通りにつながる大きな広場で、カイはベンチに腰をかけて、思わずため息をついていた。
仕事を完璧に終え、あとはもう住み慣れた巴里へと帰るだけだ。
目的はこれ以上ないほど鮮やかに片づけたのに、カイの表情は曇ったままだ。
人に気取られぬよう繕っていた笑顔も、一人になったために、もろくも剥がれ落ちてしまっていた。
――――どうしてあんなこと、言ってしまったのだろう。
原因は、出張直前の三日前にさかのぼる。
「出張?」
カイの家のリビングのソファで、主以上にくつろいでいたソルは、その単語に顔をしかめた。
「ああ、仕事でな。講演をしてほしいと頼まれたんだ」
聖戦における英雄は、やはり大きな尊敬と関心を持たれている。
こういう依頼は、初めてではなかった。
「少し留守にするから、お前は好きにいて良い。鍵はいつもの場所に・・・」
そこまで言いかけたところで、カイはいきなり腕を引かれてバランスを崩した。
「わっ!」
息をのんでいる間に、ソルの腕にあっさりとつかまった。
「なっ、ソル!?」
驚く間もなく、唇を塞がれた。
「んっ! ちょっ・・・!」
待て、と言う単語が続かない。
カイの抵抗は空しく空を切るばかり。
ソルのもとには届かなかった。
突然の出来事だったので、頭が真っ白になって、何も考えられない。
「このっ・・・馬鹿!!」
ようやくのことで解放されたカイが、最初にはなった言葉はこれだった。
顔を周知で真っ赤にしながら、目は本気で怒りをたたえていた。
「どうしてお前はいつもいきなり・・・」
言ってやりたいことは山ほどある。
今夜こそ説教してやろうと口を開いたカイの前で、のっそりとソルが立ち上がった。
「今度こそ、簡単に扱わせないぞ!」
カイは身構えたのだが、
「えっ・・・」
予想を裏切って、ソルはそのままリビングを出て行ってしまった。
それどころか、玄関のドアが開閉する音まで聞こえてきて、とたんにカイは顔色を変えた。
「ソル!?」
慌てて玄関にかけていき、ドアを開けてみたが――――そこには、ただむやみに闇ばかりがあるだけだった。
「はあ・・・」
そんな状態のまま出張へやってきたのだ。
仕事は完璧にこなしたのだが、カイの心はいまだ晴れない。
――――馬鹿、何て言わなければ良かった。
本当は嫌ではない。
ソルにキスされること。
それが無理矢理であっても、相手が彼ならば大きな問題はない。
――――怒った、んだよな。あれは。
何も言わずに出て行ってしまったソル。
それまでは普通にソファでくつろいでいたのだから、出て行ったのは腹が立ったからだろう。
「はあ・・・」
ここへきて何度目かのため息をついた時だ。
カイは自分に寄せられる視線に気がついた。
「?」
ゆっくりと視線をそちらに向けると、そこにははっとしたように驚く少女の顔があった。
年は自分よりもずっと若い。
可愛らしい顔立ちの少女は、カイをじっと眺めていたことを恥じたのか、何を言って良いのか分からない様子でおろおろとしていた。
その姿に癒されたかのように、カイは表情を取り繕うと穏やかに笑みを浮かべる。
「どうしました、お嬢さん。私に何か御用ですか?」
「あ、あの・・・!」
少女はどもりながらも、何とか言葉を紡ぎ出した。
「ごめんなさい。何だかあなたが、とても悲しそうだったから」
「・・・・・・」
それほど落ち込んでいたのだろうか、自分は。
カイはそんなことを思いながら、同時に自分の情けなさに自嘲する。
「すみません。どうやらご心配をおかけしてしまったようですね」
「そんなことありません!」
カイの言葉に少女は慌てて頭を振った。
「私、目の前で悲しい顔をしている人がいるのを、黙って見ているしかできないのかなって、思ってしまったんです」
「・・・・・・」
カイはじっとその少女を見た。
特にこれと言って大きな特徴はない。
だが、彼女の言葉には不思議な響きがあった。
「・・・あなたが気に病むことはありません。ただちょっと、そうですね。恋人にひどいことを言ってしまって、落ち込んでいるところなのです」
ついカイは、本当のことを口にした。
いつもならここまで自分のことを言わない。
何故素直に打ち明けたのか、自分でも珍しいことだと思った。
「恋人に・・・それは、つらいですね」
「ええ。言ってしまってから後悔しても、遅いのですが」
目の前の少女が悲しんでくれたので、カイの中の暗い気持ちは少しずつ薄まっていった。
「でも、いつまでもここにいるわけにはいきませんね。ここで落ち込んでいる暇があったら、そいつに謝りに行けばいい」
今まで鉛のように重かった身も、軽々と動かせる。
カイはすっと立ち上がった。
「ありがとうございます。あなたと話しているうちに、こうしてはいられないと思えました」
そうだ。
ここで落ち込んでいる暇があったら、さっさとソルを探しに出たほうが建設的だ。
「では、失礼しますね」
カイは封雷剣の入ったケースを持ち上げると、彼女に丁寧に体を折った。
「あ・・・! さようなら」
慌てて手を振る少女に会釈してから、カイの歩調は一気に速まる。
もう仕事の報告は終わっているのだから、一番早い飛空挺でとりあえず巴里に戻ろう。
それから家に帰る前に警察機構へ寄って、ソルの居所の手掛かりとなるような情報を探して・・・。
やることは一気に増えた。
だが、それは苦痛ではない。
「さて、飛行場は・・・」
見慣れぬ土地で、案内となるような看板を探して顔を方々に向けていたカイは、不意に視界の隅に引っかかるものを見つけてはっとした。
「あれは・・・!」
まさか、と思った。
ここにいるはずがない。
だが、同時に、見間違えるはずもなかった。
あの、見覚えのある仏頂面。
「っ・・・! 馬鹿!」
不覚にも漏れそうになった嗚咽の代わりに、とっさに悪態をつくと、カイは走り出していた。
「ソル!」
駆け寄ってくるカイに対して、その人物は遠くで肩をすくめただけだった。