禁断の果実
「・・・・・・」
カイは珍しく頬を膨らませていた。
「・・・・・・」
対して、その隣にいるソルは、いつもの通りの憮然顔。ただ、普段より理不尽さが含まれている。
沈黙する二人の目の前にあるのは、この気まずい雰囲気の原因だ。
綺麗に皮を剥いて食べやすい大きさに切られたりんごが皿の上に鎮座しているのを、カイは椅子に座ったまま、ソルはベッドから上半身を起こしたまま見つめていた。
カイは口を尖らせて恨みがましそうに言う。
「どうせ私がやったら、皮を剥いたはずのりんごがAB型の血で真っ赤に染まってしまうでしょうね」
声がいつもより低い。
カイの腕の中には、りんごが入った紙袋がある。
元凶となったりんごは、先の戦闘で怪我を負ったソルのためにカイが持ってきた見舞いの品だった。
見れば、そこはソルにあてがわれた団員の個人的な部屋ではなく、清潔感のある白い壁に囲まれた、今はソルの他に誰もいなくて空いているベッドが幾つか並んでいる、聖騎士団内の医務室だった。
彼の体には新しい包帯が巻かれていた。
怪我を負ったときは心配もしたが、今はじとりと湿った視線を送りつつ、カイは続ける。
「これからの時代、男だって料理くらい出来なければなりませんからね。しかも、あなたは毎日のように剣を振るっているので、刃物には慣れています。りんごくらい、簡単に剥けて当然ですよね」
「・・・いい加減に機嫌を直せ」
やっと口を開いたソルに、カイは柳眉を吊り上げた。
「すみませんね、りんご一つもまともに剥けなくて」
「・・・・・・」
ソルは深い溜め息をつく。
きっかけはごくごく些細で、大変くだらないことだった。
見舞いにやってきたカイは、ソルのためにりんごを剥こうとした。
だがあまりに危なっかしい手つきを見かねて、真っ白い手が血まみれになるより前に、ソルがカイの手からりんごを取り上げて代わりにりんごを剥いた。
そうしたら、そのいかつい外見に似合わず、綺麗にりんごがむけた。
――――ただ、それだけのことなのである。
だが、カイにはそれが許せなかった。
「りんごが剥けなかったからと言って、あなたに負けたわけではありませんから」
常々ソルを好敵手と言い張るカイは、怪我人に向かって容赦なくきっぱり言い切った。
ソルにできて自分にできないことがある、というのはカイのプライドが許さなかった。それ以上にこれでは子ども扱いされるのも止む無しと思ってしまう自分も気に入らなかった。
「では、私はお邪魔だったようなので、これで失礼します」
そう言うカイの頭の中では、猛特訓を積んでソルの前に綺麗に皮を剥いたウサギさんりんごを振舞う自分が、すでに思い描かれている。
帰ったら即りんごの皮剥きの特訓を始めなければ。
そして、ソルを見返してやらねばならない。
新たな目標を得たカイは、しかし、立ち上がることができなかった。
「待て」
ソルがその細腕を掴んだのだ。
「何ですか」
非難のこもる声を無視して、ソルはカイの目の前にりんごの載ったお皿を突きつけた。
「嫌がらせですか」
「違う」
じっと青緑色の双眸を見返しながら、無理矢理お皿を持たせて、ポツリと一言。
「食わせろ」
「は?」
思わず即座に聞き返すカイ。しかしソルはそれ以上何も言おうとしない。ただカイを凝視するばかりである。
しばしカイは考え込む。
お皿に載った忌まわしき果実と渋い顔をしている患者を交互に見ていたカイが、突然何の前触れもなく吹き出した。
「ふっ・・・ふふふ」
今まで怒りに拳を震わせていたのに、急に笑い出したのだ。さすがのソルも怪訝な表情を浮かべる。
不審そうに見つめられながら、ようやくカイは笑をおさめた。
「馬鹿みたいですね」
「?」
今度はソルが首を傾げる番だった。
だが、カイはそれには答えずお皿に載ったりんごにフォークを刺した。
「特別サービス。今日だけですから」
甘い微笑まで浮かべながら、カイはそのフォークをソルの口元まで運んだ。口が開いて一口齧るのを見届けてから、もう一度声を立てて笑った。
「・・・いい加減、気持ち悪い」
「す、すみません・・・でも、仕方ないでしょう。笑いが止まらないのですから」
どこか嬉しそうにカイは答える。笑いの合間に言葉を入れるのが精一杯という感じだ。
ますますソルの眉間に深いしわが刻まれた。付き合いきれないとばかりにカイから視線をはずす。カイにはそれすら笑いを誘った。
やっと落ち着いたところで、カイは呟いた。
「あなたが甘いからいけないのです」
しかし、あまりに声が小さくて、結局その一言はソルの耳に届くことはなかった。