聖騎士団
「何をしている?」
相変わらず気配もさせず近寄ってきたソルは、寝室で背中を丸めているカイに、訝しげに声をかけた。
「ん? ああ、ちょっとな、考え事をしていた」
「それは・・・」
正座したカイの膝の上にあるのは、聖騎士団の制服だった。白い布地には、はっきりと戦いの痕跡が残されていた。所々破け、砂をつけ、誰のか分からない血にも染まっている。
「私たちは、こんなにぼろぼろになって戦っていたのだよな」
感慨深げにカイが息をついた。
終戦以来、こんな気持ちになったのは初めてだった。聖戦の続きで今の自分がある。それは当たり前のことで、今も昔も自分は自分なのだ。
だが、どうしてだろうか。
聖戦時の自分が、どこか遠く感じられる。
「懐かしむなど、可笑しな話だ。戦いは終わったわけではない。懐かしむほど良い記憶でもないしな。多くの命が奪われて、誰もが悲壮に満ちていた。あのときほど人類が危機に陥ったときはあるまい」
「・・・・・・」
「それなのに、こうして感傷的になるなんて」
聖戦が終わりを告げてから、何年も経った。あの戦いが終われば、この世は平和になると信じて疑わなかった。
確かに、人類の存続は、かなったのかもしれない。しかし、まだ何も終わってはいない。
ソルが追っている「あの男」という人物。
彼がギアと人類との戦いにおいて、重要な意味をなしていることはカイも知っていた。
だが、詳しいことはよく分かっていない。その正体も、所在も、ソルとの関係も――――
そのことについて、まったくソルは話そうとしないし、カイ自身もそれに触れてはいけないような、聞きがたい思いを抱えているため、あえて聞くまでにはいたっていなかった。
そのことにけりがつかねば、真の平和などありえぬのではないかとさえ思う。
彼に付き従っている、あの紅の楽師を思えばなおさらだ。
――――そうだ。彼女との決着も、避けられまい。
カイは眉目を曇らせた。脳裏には、あの蠱惑的な笑みで人を篭絡する女の姿が浮かんでいる。
彼女とは考え方から言って、自分と正反対のところにある。いつも言葉の奥に含みがあるのに、カイは苛立ちを覚えずにはいられない。
人を嘲り笑う彼女とは、今後一切理解を深めることなどできないだろう。
「この制服、これでも何度も洗い直したんだ。でも、結局血も汚れもまったく落ちなくてな。そうはいっても捨てるのもしのばれて、新しい制服を身にまとうようになっても、こうしてとっておいたんだ」
クローゼットの整理をして見つけるまでは忘れていたが。そう付け足すと、傍らに立っていたソルが、カイの隣に腰を下ろした。
「あのころは、ギアがいなくなればこの世は安泰だと信じて疑わなかったからな。思えばずいぶんと簡単な理屈で動いていたものだ」
人類の敵はギアで、ギアさえいなければすべて解決すると、それが絶対的な正義であると疑わなかったのも、聖騎士団時代だった。
それがだんだん崩れて、今では何が正義か、見極めるのが難しく思う。
だが、間違いなく正義は存在すると思うし、秩序を守ることが平和にもつながるということには、自信を持ってうなずける。
「嫌になったか?」
今まで黙ってカイの話を聞いていたソルは、真意の見えぬ質問を投げてきた。その声音には一片の感情もこもっていない。
ともすると鋭い刃をはらんでいるとも取れる問いに、しかしカイはきっぱり首を振った。
「そんなわけないだろう。私は、やらなければならないことをやっていると思っている。誰に強いられたわけでもない」
「そうか」
やはり何の関心もなさそうな、そっけない返事がカイの耳に届く。
カイは隣に座るソルを見上げた。思えばこの男との関係も、実に複雑怪奇だった。
聖騎士団で一緒に過ごしたころの印象は、「最悪」の一言に尽きた。協調性のない部分を始め、ソルの全てが腹立たしかった。戦場に出て鬼神のごとき強さでギアを圧倒する姿には、余計に苛立ちが募った。
だが、そこには単純に、その限りない強さに対する憧憬の念も含まれていたような気がする。
彼がギアであると分かったときも、何故かすんなりと納得できたし、彼に対する態度や認識が変わったわけでもなかった。
子供扱いされるのが嫌で、ずいぶんとその背中を追ったものだ。今から考えると、ひどく遠いことのように思う。まだそんなに日も経っていないというのに。
愛憎が表裏をなしているというのは、本当のことらしい。
気がついたらあれほど嫌いだったソルに惹かれており、今こうして隣り合っているだけで安心するような存在になっている。
大嫌いだった奴が、なくてはならない人となっている。本当に、先のことは誰にも分からないものだ。
だから余計に思う。
――――この幸せが、崩れぬようにと。
「何だ?」
ついまじまじと凝視していたらしい。ソルは不審そうな顔をした。
「あ、いや、何でもない」
人前であるのにぼんやりと考え込んでしまうのは、カイの悪い癖だ。カイは慌てて顔を背ける。
「これも、しまってこなくては」
いつの間にか握り締めていた制服をもう綺麗に一度たたむと、カイは元あった場所に戻した。
またこうして見つけて、懐かしむこともあるのだろうか。
そのときには、ソルも隣にいたということも、思い出すのだろうか。
・・・考えても詮無いことばかりだ。
一時は妙な悲観にとらわれたこともあった。
もし、今後ずっとソルと一緒にいられるか分からないのであれば、今幸せを感じる分だけ、別れた後につらくなるのではないか、と。
だったらあまり一緒にいなければ、後々つらさも軽減するのではないか。
思い返してみると、馬鹿な理屈だ。
それでは、戦場の最前線において、怪我をしたくないから後方の比較的安全な場所に移動しようというのと同じだ。自分はそんな性格ではないと、カイ自身がよく分かっていた。
だから、ソルから逃げることはしない。
常に、幸せに一番近いところにいたい。
カイは片付け終えると、ソルの隣に戻った。ここが、今の自分にとって、一番幸せに近いところだから。
「整理に夢中になってしまって、思いがけず時間をとったな。お前、食事は?」
「いや」
「ちょうどいい。私もまだだ。食事の支度をしよう。確かにおなかがすいた」
カイは促すようにソルの腕をとる。片時も離れるのが惜しかった。
その気持ちが相手に伝わったのかは疑問だ。カイの真意を知ってか知らずか、
「ああ」
相変わらず至極簡素な答えを返すと、ソルは素直に彼女に従った。