「そりゃ、ないよりあるに越したことはないだろう」
「はあ、そういうものですか・・・?」
 大通りから外れたオープンカフェでの一幕である。
 偶然再会したカイ、アクセル、闇慈は、どういういきさつであったか、一緒にお茶することとなった。
 先ほどの一言は、その場で話題に上がった女性考に関する闇慈の一言だった。
「やはり、一般的に胸は大きいほうが好まれるのですか・・・」
 やや沈んだ口調のカイに、カイが女であると知っているアクセルは、思わず吹き出しかけた。
「やっぱ、男にはない、女特有の部位のひとつだろう? やっぱなぁ、こう、憧れるものだな」
「憧れ・・・」
 闇慈の言葉を反芻するように、カイは大真面目な顔をしかめた。
 笑いを必死にこらえながら、アクセルはやっとの思いでフォローを入れる。
「でもほら、逆に小さいほうが好みの人もいるし」
「そうですか?」
「少数派だけどな」
 こいつ、とアクセルは内心闇慈の余計な一言に歯噛みした。
 せっかくのフォローも、真剣に悩むカイには余計な一言であったようだ。
「まあ、でもあれだ。形も重要だな」
「形、ですか?」
 これは意外な発言であったらしい。カイは瞠目した。
「どういうことですか?」
「ん? ああ、ほら、女はさ、自分にあった下着をつけてないと、型崩れするって言うだろ。大変だよな」
「か、型崩れ・・・」
 カイは大きな衝撃を受けたように、呆然とつぶやく。
 自分にあった下着どころか、力いっぱいさらしで締め付けているのが常の自分の胸は、いったい普通の女性に比べてどれだけ型崩れしているのか。
 カイには想像もできなかった。
 まさか誰かに問うわけにもいかず、愕然と事実を受け止めるしかない。
「そういうあんたはどうなんだ?」
「え?」
 逆に問い返されて、それどころではない気持ちを抱えながらも、カイはどう答えるべきか首をひねる。
「そうですね・・・」
 何でも大真面目に考えるのは、彼女のよいところでも、悪いところでもあるのかもしれない。
 隣にいたアクセルなどは、カイがいったいどんな答えを返すのか、どこかはらはらした気持ちで待っていた。
 二人の視線を受けながら深刻な顔で考え込んでいたカイだったが、ややあって、何を思ったのかにっこりと微笑んだ。
「そうやって振り分けることが、女性を傷つけてしまいますからね。私は大きいのが良いとは思いません」
「・・・ま、なんていうか、あんたらしいな」
「そうですか」
 にこにこと笑ってはいるが、アクセルにはどこか薄ら寒い空気が漂い始めたことに背筋を凍らせた。
 それを感じたのか、それともカイの回答が面白くなかったのか。
 ただ用事を思い出しただけかもしれないが、その答えを機に闇慈は席を立った。
「んじゃ、俺はそろそろ行くから。後はごゆっくり」
「はい。では、また」
 カイの鉄壁の笑みは崩れることはなかった。
 だが、闇慈の姿が見えなくなるや、大きなため息をついた。
「・・・やっぱり、気にした?」
 アクセルはカイの胸の大きさなど知らない。
 しかし、今の彼女の落ち込み振りを見れば、何を悩んでいるかくらいは分かる。
「・・・・・・少し」
 言う以上に傷ついているように見えた。
「本当に好みなんだよ。大きいからいいってわけでもなくて・・・」
 あれ?
 そこまで言ってアクセルは妙な感覚にとらわれた。
 カイが周囲の目から、自分が女であることを隠しているのは事実だ。
 それはもう長いこと続いており、時にはピンチのときも、ばれてしまったこともあっただろう。
 だが、多くの人はカイが男だと信じている。
 それを、カイ自身が望んでいる。
 ただでさえ体形を隠し通すのは大変なのだから、その理屈で言えば、胸などないほうが彼女にとっては得のはずである。
 それが何故、そこまで小さいことを悩んでいるのか・・・。
「あっ!」
 そうか。
 アクセルはぽんと手を打った。
「? どうしたのですか、いきなり大きい声を出して」
「あ、ああ、えーと、ごめんね」
 謝りながらもアクセルの口元は緩んで仕方なかった。
 そうか。
 そういうことだったんだ。
 駄目だ、笑いが治まらない。
「・・・そんなに私がショックを受けているのがおかしいですか?」
「まさか! そうじゃなくて・・・」
 恨みがましそうな視線を受けても、さらにアクセルの笑いを誘うだけだった。
 ひとしきり笑い終えると、ようやくアクセルが口を利いた。
「ごめん、ホント、あまり気を悪くしないで」
「・・・いいですが、別に。そこまでおかしかったですか?」
「だって・・・」
 こみ上げる笑いをいったん吐き出してから、アクセルは周囲を気にしつつ、ささやくように言った。
「それって、旦那のために悩んでいるんでしょ?」
「えっ!?」
 思わずカイは身をそらした。
「ま、まさか。どうしてそこでソルが・・・」
「あれ? やっぱり無意識だったんだ。まあ、カイちゃんらしいって言ったら、らしいけど」
 まるで謎解きをして犯人を追い詰める名探偵のような口ぶりで、アクセルはにっと笑った。
「だって、どう考えたって、小さいほうが得であるはずなのに、悩んでいるんだもん。一般的な意見とか気にしちゃってさ」
「そっ、それは・・・」
 言われたことをゆっくりと咀嚼しているのだろう。遠いところを見ながらカイは一生懸命考えている。
 確かに、男装するには胸などむしろないほうが、都合が良いのだ。大きくても隠すのに邪魔なだけだ。
 それなのに、何故そこまで思い悩んでいたのか。
 カイは自分自身のことであるのに、答えが出せなかった。
 アクセルの言葉が、正解であることを認めざるを得ない。
「なんだかんだ言っても、やっぱり女の子なんだね。好きな相手の好みを気にするなんて」
「べ、別にあいつの好みなんて・・・」
「またまた〜」
 アクセルはカイの肩をつついた。
「そういう照れたところとか。旦那に見せてあげたいなぁ」
「お願いですから、他言無用にお願いします」
「ええ〜、勿体無い」
 カイの懇願に、アクセルの笑いは再び勢いを取り戻した。
「あはは。冗談だって。そんなに気にしないでよ」
「信用しますからね」
「うんうん」
 傍から見れば、紙の重さほどの信用も感じられない軽さでうなずくアクセル。
 しかしその実、彼が信用に足る人物だとカイは知っていた。
「あ、そうそう。さっきの話だけどね」
「はい?」
 すっかり冷めてしまった紅茶を口に運びながら、何気なくカイはアクセルを見る。
「旦那、そういうこと気にするタイプじゃないよ。そこまでカイちゃんが思い悩むことなんてないって。カイちゃんがカイちゃんなら、大きいとか小さいとか、問題じゃないんだよ」
「アクセルさん・・・」
 先ほどまでは大笑いしていたというのに、妙にしんみりとした口調でそういうものだから、カイはしばし、あっけに取られたようにアクセルを凝視した。
 ほどなく、ようやく彼女の口元にも笑みが戻る。
「・・・そうですよね。そこまで繊細な男ではないですよね」
「そうそう」
 互いを見合うと、思わずどちらからともなく笑みがこぼれた。
 こうして笑い合える人がいることに、カイは感謝の念を惜しまない。
 少し前の自分からは想像できないことだった。
「・・・では、そろそろ行きましょうか」
「だね」
 二人は立ち上がると、並んでカフェを後にした。



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