お互いさま






「本気で闘え、ソル!」
 いまや過去のものとなりつつある台詞とともに、カイは物騒にも封雷剣を振りかざしていた。目は鬼のようにつり上がり、怒りの炎に燃えている。
ここは酒場で、大勢の者がいる中このように剣を構えたりしなかったら、ソルの驚きも半減しただろう。
「・・・・・・は?」
 酒を飲んでいたソルは、本来海を越えたところにいるはずの人物を目の当たりにして、訝しそうに顔をしかめた。一瞬、酔いが回って幻覚でも見たのかと疑ったくらいだ。
「ここは倫敦だぞ。どうしててめえが・・・いや、それ以前に勝負だと?」
 一気に不可解なことに迫られ、珍しくソルは困惑している。鬼気迫る表情のカイは本来巴里のおまわりさんで、ここ倫敦とは離れた場所に居住している。普通に考えて、海を隔てたこの街にいるはずなど無いのだ。
 しかも、最近では穏やかにソルを迎えてくれていたというのに、この豹変ぶり。
 一体彼女に何があったというのか。
 カイは怒りを込めた冷たい視線を送りつつ、口を開いた。
「いいから抜け!」
「・・・・・・」
 偽者でないことは分かった。だが、それにしても相変わらず理由はさっぱり分からない。
「ちっ・・・しゃあねえな」
 ソルは腰を浮かせた。とりあえずここで騒ぐのもどうかと、彼にしては滅多に無いことに、周りの客に気遣い、カイの言に従う。
 黙って歩き出したカイの、 肩を怒らせながら苛立たしげな背中を見ると、懐かしささえ感じた。あれほど繰り返されたやり取りも、今はすっかり過去のことになっていた―――はずだったのだが・・・。
 そうでもなかったようだ。人気の無い広い場所に出ると、カイは改めてソルと向き合い、剣を構えた。
「さっさと抜け!」
「理由くらいいえ」
「うるさい! 自分の胸に訊いてみろ!」
 釈然としないソルは、言われた通りに記憶の欠片を集めてみた。最近カイにしてしまった、彼女を怒らせるようなこと――――。
「・・・・・・あ」
 案外簡単に答えは見つかった。
「この間、一回でやめろっつったのに、三回やっちまったことか?」
「なっ・・・! ば、馬鹿! 違うっ!」
 さっとカイの顔に朱がさした。これは彼女が照れているときに良く見られる反応である。どうやらそのことではないらしい。
 もう一度、記憶を辿ってみる。
「・・・ああ」
 ソルはまた心当たりに行き着いた。
「てめえが入浴中無理矢理侵入して、風呂場で押し倒したことか?」
「それも違う!」
「じゃあ、気付かれないようにこっそりキスマーク付けていたことは?」
「違う! って、お前。そんなことしていたのか!」
 どうやら余計なことを言ってしまったらしい。カイは顔を真っ赤にしてさらに噛み付いてきた。
「とぼけるものいい加減にしろ! 私は見てしまったんだからな!」
「だから、何をだ」
「お前が昼間、女性と二人きりでホテルに入っていくところだ!」
「・・・・はあ?」
 思わず顔をしかめたソルだが、どうやら思い出したことがあるらしい。顔色が変わった。
「もしかしてお前、茶髪の女のことを言っているのか?」
「そうだ! 小柄で可愛らしいお嬢さんだ。やっと思い出したようだな」
 カイの青緑の目がすっと細くなった。
「馬鹿か、てめえは。あれは・・・」
「馬鹿とは何だ! 私だってお前が女性と話すことは別に構わない。だが、その・・・ホテルに入っていくのを見て、冷静でいられるわけ無いだろう!」
 そう言い放って、封雷剣に法力を込める。青白い光をまとわせ、臨戦態勢完了だ。事実を認めた時点で、これ以上ソルと話す気は無い様子である。
「さあ、お前も構えろ!」
「・・・・・・」
 げんなりとソルは肩を落とした。他の事情は一切耳を貸さない体のカイに、真実をどう説明すべきか・・・否、それ以前に説明自体が面倒でたまらなかった。
 とりあえず、彼女の気がすむまで付き合ってやって、落ち着いたところで話そう。
 そんな結論に至ったソルは、カイの望みどおり自分の得物、封炎剣をカイに向けた。
 こうして向かい合うのはどのくらいぶりだろうか。少なくとも、カイがソルの浮気――というと、やや語弊はあるかもしれないが――を理由にして戦いを挑むことなど考え及びもしなかった時以来だろう。
 ――――何となく、あのときよりも異様に殺気立って、鬼神のごとく見えるのは、果たしてソルが酔っ払っているせいだからだろうか。
「行くぞ!」
「・・・ちっ」
 お互い、同時に踏み出した、その時。
「あれー? 何、どうしたのさ、二人とも。夫婦喧嘩?」
 この場にはふさわしくない陽気な声がした。互いのことに気をとられて周りが見えてなかった二人は、揃ってその声の主を見た。
「ん? あれ、変だな。何でカイちゃんがこんなところにいんの? お仕事?」
「あ、アクセルさんこそ・・・」
「俺はほら、例によってお金が無いから、旦那と一仕事をね」
 ああ、そうそう、とアクセルはぽんと手を打った。仕草が古いのは彼が元はこの時代の人物ではないからだ――多分。
「旦那、昼間の依頼人、あの子凄く感謝してたよ。嫌がらせをやめさせてくれてありがとうって」
「へ? 依頼人? 嫌がらせ?」
 思いがけないアクセルの言葉に、カイはぽかんと口を開けた。
「あの、どういうことなんです?」
「ああ、あのね、今日の仕事のことなんだけど」
 アクセルは、先程あっさりとソルが諦めた作業――頭に血が上ったカイにも分かるような説明――をし始めた。
「それがね、偶然俺たちが通りかかった宿で、旦那より人相の悪そうないかついおっさん方が大暴れしていたわけ。で、その時椅子やらテーブルやらが道にまで飛んできて、運悪く旦那をかすっちゃったんだよね・・・」
 その先は、何となくカイにも想像ができた。案の定怒ったソルはその宿に乗り込み、大暴れしている奴らを大人しくさせてやったのだそうだ。
「この街も物騒になったなあ。んで、成り行きでその宿のオーナーと娘さんに話を聞いたら、ああいう嫌がらせがここ数日頻繁に起こっていて、客も来ないし建物や備品は壊されるしで、商売上がったりなんだってさ。そんな話聞いたら、ほうっておけないでしょ?」
 アクセルがうまくオーナーと話をつけ、二人でその宿の用心棒になったというわけだ。オーナーは犯人に見覚えが無く、恨まれるようなことをしてもいないし、そんな人柄でもなかった。
 というわけで、そこで役に立ったのが先程ソルによって地に沈められた者たちだ。多少の犠牲は仕方ないと諦めて、極めて穏便に事情をお話しいただいた。
「そしたら、そいつらその宿には何の恨みも無いんだって。ただ、頼まれたからやったらしいんだ。誰に頼まれたか、分かる?」
「いえ・・・誰だったのですか?」
「それが、何とそいつら、宿の娘さんの幼馴染に依頼されたって言うんだよ」
 何故か得意げになって、アクセルは胸を張って続けた。
「その幼馴染って言うのは、でっかい建物をいっぱい所有しているお金持ちの家の子なんだけどね、理由が凄いんだよ」
 理由は簡単だった。その幼馴染だという娘が思いを寄せていたという男が、実は宿の娘を好いていたからだというのだ。
「女の子って怖いよねー。振られちゃったからって、それまで中が良かった子に嫌がらせしよう、なんて考えちゃうんだもの」
「それで、金を握らせて素行の悪い者に宿を襲わせていたのですか」
「そう。でもその子も本当は悪いと思っていたみたいでね、旦那が宿の娘さんと、宿を荒らしていた奴らを連れてその子の家に乗り込んだら、案外あっさりと幼馴染の子が泣きながら謝ったんだって」
 ソルは殴りこみのつもりで、そこにある調度品の一つや二つ、壊すのは当然だと思っていたのだが、思いがけず問題はスピード解決した。
 当人同士は何事も無かったかのように仲直りをしたというし、宿の修理などは一切幼馴染の家が引き受けるのだそうだ。宿で待機していたアクセルや宿の主人などは、謝罪しに来た娘の幼馴染とその親を見て、かなりあっけにとられたくらいだ。
「円満解決したはいいけど、宿はぼろぼろのままでね。そんでその日だけでも過ごせるように少し修理したんだよ。旦那は娘さんと買い物に行っている間に、俺と主人で中を片付けてね」
「・・・あっ!」
 そういわれてみれば、カイがソルと少女を見たとき、ソルは大きな紙袋を持っていたような・・・。
「いやー、結構大変だったけど、いいことしたなー。解決代も弾んでもらっちゃったし・・・って、それよりホント、なんで二人は剣を向け合っていたわけ? 痴話喧嘩にしてはちょっと物騒だけど」
「そ、それは・・・」
 ソルと娘が宿に入っていくところを目撃し、勝手に勘違いしていたなんて、カイの口からどうして言えよう。
 たまたま出張でここへ来ていたカイは、移動の際に件の光景を目撃したわけだが、あの時もし周りに大勢の役員がいなかったら、カイも思い余ってその宿に押し入るところだった。
 ――――そもそも、ソルがきちんと説明しなかったのが悪い!
 カイがソルを見ると、全ての元凶はにやりと口元を歪めた。
「こっちは一仕事してきて疲れているってのに、てめえの勘違いでこんなことに付き合わされるなんてな」
「あ、まさかカイちゃん・・・」
 勘のいいアクセルは、今の一言で大体の事情が飲み込めたようだった。
「だ、黙れ! お前がきちんと説明しなかったのが悪いんだろう!」
「これだから、ガキは・・・」
 ふう、とソルは大げさなくらい盛大にため息をついた。勿論、それに黙っていられるカイではない。気付いたときには、カイは再び剣を構えていた。
「誰がガキだ! ガキかどうか試してみたらいいだろう!」
 昔似たような台詞に激怒したことがあったような、なかったような・・・。
 それはともかく。予想通りの反応を示した彼女に、わざとソルは挑発的な口調で言う。
「ふん。てめえが勝ったらガキじゃねえと認めてやってもいいが、俺が勝ったらどうするんだ?」
「いいだろう。何だってしてやる!」
 頭に血が上っているカイには、うまく乗せられてしまっているのに気がつく余裕はなかった。ソルは満足そうにうなずく。
「いいぜ、それなら」
「行くぞ!」
 今度こそ本当に闘いを始めてしまった二人を眺めながら、
「こういうのも、愛の形って言うのかな・・・」
 ポツリとアクセルは漏らしたが、言うまでも無く二人の耳には届かなかった。



 ――――直後、一撃であっさりとカイが倒れ、彼女を抱えたソルはどこかへ行ってしまい、その後二人はどうなったのかさっぱり分からなかったが、何となく、アクセルはカイの先行きに合掌せずにはいらなかった。




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