祝福された日
二月十四日。
それはつまり、女の子の大切な日である、バレンタインデー。
そして同時に、ジンの誕生日でもあった。
そう、それは分かる。
分かるからこそ、目の前に差し出されたブツをどうすべきか、ジンは本気で途方に暮れていた。
「ジン先輩、これ・・・」
恥ずかしそうにそれを差し出すノエル。
本来なら、甘くて幸せな味がするであろうチョコレートのはずなのだが、彼女の手の上にあるものは、明らかにチョコレートのカテゴリに入るものではない。
強いて言うなら、黒い何か。
それしか表現のしようがない。
「本当は、ラグナさんのも作りたかったんですが、あの・・・ちょっと、失敗しちゃって。ジン先輩の分しかなくなってしまったんです」
「・・・ノエル、俺はお前のその気持ちだけで十分だ」
真面目腐ってそう言うラグナだが、内心ガッツポーズしているのは明らかだ。
ノエルは超絶的に、そして絶望的かつ壊滅的に料理が苦手なのだ。
以前手作りクッキーを食べて、ひどい目にあったことがある。
その経験からするに、目の前に出されたそれが、自分の体に何かしらの悪影響を及ぼすであろうことは、どんな阿呆であってもすぐに推測できることだ。
――――が。
「でも、ジン先輩は今日、お誕生日でもあるし・・・その、良かったら、で、良いんですけれど・・・」
もじもじとジンの様子をうかがうノエルの視線が、予想以上にジンの思考を鈍らせている。
ここで、その黒い何かを床にぶちまけてしまうべきだ。
「そんな毒が食えるか、この障害がっ!」
と、怒鳴りつけでもしたら、二度とノエルの料理を勧められずに済むだろう。
そんなことは分かっていた。
分かっていた・・・が。
「ジン先輩?」
不安そうに首をかしげるノエル。
ジンはそれを見たとたん、自分でも信じられない行動をとっていた。
夕日が眩しい。
その光に誘われるように、ジンはゆっくりと目を開けた。
「ここは・・・」
「目が覚めたか?」
すぐ隣で、ひょっこりとラグナが顔を出す。
「兄さん・・・僕は・・・」
「ノエルのアレを食って、ぶっ倒れたんだ。まあ、当然ちゃあ、当然だな」
むしろ倒れるくらいで済んで良かったと、ラグナは付け足した。
・・・何か嫌な思い出でもあるのだろうか。
「でも、まあ」
ラグナの手が伸びてきて、ジンの前髪をさらりと梳いた。
「良く、拒まずにあいつの料理を食ってやったな」
「別に。ただの気まぐれだよ」
そっけなくそう返したにもかかわらず、ラグナの優しげな表情は変わらない。
子どもをあやす時のように、何度か頭を撫でる。
「ノエルは今頃、お前のための夕食を用意している」
「兄さん、さすがにこれ以上は・・・」
「ああ、大丈夫だ。あの女先生がついているから・・・多分」
ジンが寝ているのはライチの診療所の一室だ。
ライチはノエルに甘いので、二つ返事で台所を提供してくれたのだが、ノエルの料理の腕前に、今頃ひきつった笑みを浮かべていることだろう。
「・・・去年の誕生日なんて、覚えていないよ」
「ジン? 何か言ったか?」
何でもないとジンは首を振ったが、独り言は真実だ。
去年どころか、ずっと自分の誕生日などにはこだわりがなかった。
祝ってもらった記憶など・・・遠い昔、まだ兄と妹と、三人でシスターのもとにいた時までさかのぼらないといけない。
あの時も、そう言えばこんな、こそばゆい気持ちになった気がする。
「兄さん」
「何だ?」
「もう少し、ここにいてくれる?」
小さなつぶやきであったが、ラグナはちゃんと聞きとってくれたようだ。
「まあ、お前の誕生日だからな」
くしゃりとジンの淡い金髪を掻きあげて、ラグナは苦笑にも似た笑みを浮かべた。
穏やかな一日が、ゆっくりと暮れていった。