手当てをするひと
「全く…無茶なことをして」
目の前に突き出された、血の滴る太い腕を見たカイは、ふう、とため息を吐いた。
手当てをしろ、という短い言葉とともに差し出されたそれは、見るも無残な裂傷が肘から手首にかけて走っている。
ろくに止血もしていない血塗れの腕に、しかし、当の本人はどこ吹く風といった感じで、相変わらず愛想の乏しい顔。
「お前…本当に分かっているのか? お前は傷を負ったんだぞ。少しくらい手当てしないか」
心配して言った言葉も、
「……」
沈黙で返された。
以前ならここでかちんと来て、反論くらいしただろう。
しかし、彼らしいそっけない物言いと、想像を超える突飛な行動には慣れている彼女は、諦めにも似たため息を吐いただけだった。
「本当に仕方ないな」
そう言って、腕の手当てを始める。
怪我の手当ては慣れたものだ。
カイは器用に薬を塗ったガーゼを傷口に当て、包帯を巻き付けた。
本来ならば医者に見てもらうべき怪我なのだろうが、当人が良いというのだから、それで良いのだろう。
――――全く、医者にも行かないで。私がいなかったらどうするつもりだったのか。
慣れたとはいえやはりソルの行動には首を傾げる事も多い。
本当に心通じあっていたら、彼の心の内もすっかり見通せるのだろうか。
もしそうだとすると、まだまだ一方通行という事になる。
「……」
知らぬ内にため息が出た。
先程のとは質の違うため息に、ソルは訝しげに眉を寄せた。
「何だ?」
「あっ…、いや、何でもない」
はっとしてカイは慌てて首を振った。
しかしいまだ不審そうな顔のソルから、彼の納得していない様子を感じ取り、とっさに言葉を投げた。
「わ、私が手当てして、悪化しても知らないからな。ちゃんと医者に見せないで良かったのか?」
とっさに出た言葉なので、何故こんな事を言ったのか、カイ本人でさえ分からない。
しかし、この一言によってソルが負けないほど深いため息を吐いたのは、よく分かった。
言葉でこそ表さぬものの、表情に乏しい顔からは、「やれやれ」という声が聞こえてきた。
「…何だ、そのため息は」
馬鹿にされたと思い、カイはソルを睨み返した。
そこで嫌味のようなため息を吐かれる覚えはない。
反論しようと口を開き掛けたところ、それより早くソルのため息がかぶさった。
そしてぼそりと一言。
「いつもだって、医者の世話になどなってねえ」
「えっ?」
そう言われて、カイは慌てて記憶の糸を手繰り寄せる。
…………。
あれ?
カイはゆっくりと視線を上げる。
聖騎士団時代は――――そう、確かに医療班の世話にはなっていなかった。
というより、ソルが大怪我などしていた記憶がない。
またそれ以降も、よっぽどの事がない限り、医者に見せた事も……思い当たらない。
「あ…」
……もしかして、私だから?
自分の怪我の手当てを他人にさせる事のない彼の、心を許した最大限の証なのではないか…。
「ちっ」
やっと思い当たった様子のカイに、ソルからは舌打ちが零れる。
「あ、いや、その…すまない」
ソルの心の内が分からなかったのは、彼のせいではない。
いつでも彼の思いは自分に向いていたのに。
全ては彼の心の機微に疎かった自分のせい…。
うつむくカイを、さり気なく抱き寄せるソル。
「…わざわざ言わせるな」
「すまない」
謝罪の言葉を漏らす口を相手のそれで塞がれながら、ソルの肩に頭をもたげたカイは、静かに目を閉じた。
何度も唇を重ねたのちに顔を上げた彼女には、もう悲愴感は浮かんでいなかった。
そっとソルの包帯が巻かれた腕に手を添え、艶やかに微笑む。
「また、怪我をしたら手当てをさせてくれ」
「…怪我をしろという事か?」
「ばか。そういうわけじゃ…」
そう言いかけて、カイは顔をついとそらすソルに気が付いた。
こういう顔は、分かる。
何を考えているか。
言葉とは裏腹に、まんざらでもなく思っているのだ。
思わずカイは吹き出した。
「素直じゃないな」
そんな彼女の一言に、渋面のソルはただ舌打ちをしただけだった。