WANTED




「よしよし・・・」
 風呂に入っていることを確かめて、カイはそっと脱衣所に忍び込んだ。
 隅のカゴには無造作にソルの服が脱ぎ捨てられていた。
 足音を立てぬよう細心の注意を払いながら、それに近付くと、カイはごくりと唾を飲んだ。まるで盗人の心境である。緊張で指先が震えている。
 躊躇い、その先の行動に移れないでいる彼女の耳に、昼間会ったアクセルの声が聞こえてきた。
「旦那の子ども時代の写真があるんだよ」
 そんな話を聞いたのは、昼食を摂るため外に出たときだった。
 大通りでばったり会ったアクセルと、一緒に食事をしている最中、思い出したように彼はそう言ったのだ。
 時間を翔けることのできる彼ならば、そんな写真を持っていてもおかしくはない。うまくいけば実際に会って、会話することも可能だろう。
 ソルの子ども時代。
 それはカイの好奇心を大いに刺激した。
 今の彼からは子ども時代などさっぱり想像できない。あんなのでも、きっと子ども時代は可愛かったに違いない。
「ぜひ、見せてください!」
 カイは思わず身を乗り出していた。
 しかし、残念そうにアクセルは首を振った。
「それがさー、ついさっき、旦那に取り上げられちゃったんだよね・・・」
「なっ!? 何ですって!」
 せっかく苦労してとったのに、と大きく息を吐き出したアクセルにつられて、カイも落胆に肩を落とした。
「それは、本当に惜しいことをしました。もう少し時間が違っていれば・・・」
「あ、でもさ! もしかしたらまだ持っているかもしれないよ?」
「えっ」
「もし旦那に会う機会があったら、それとなく探ってみなよ。うまくいけば見つかるからさ」
 そういう話をした夜に、ちょうど良くソルがカイの家にやってきた。こんな都合の良い話は、神の力か、人外の巨大な力が働いているに違いない。
 そんなわけで、思いがけず早く巡ってきた好機に、カイは覚悟を決めていた。
 ジャケットやズボンのポケットを探ってみるが、硬貨くらいしか見つからない。
「くっ、やっぱりないのか・・・」
「何がだ?」
「うわっ!!」
 突然後ろから声を掛けられて、カイは思わず大きな声を上げた。
 振り返った先には、裸身のソルが不審そうな表情を浮かべて立っていた。
「何をしてんだ、てめえは」
 じろり、と睨みつけられて、ばくばくと鳴る心臓を鎮められぬまま、カイの口は思考より早く動いていた。
「あっ、いや、その、ほら、ゆ、湯加減はどうかな、と・・・」
「ほう」
 ソルの目に不穏な光が宿ったのを、カイは見逃さなかった。
 こういう時はろくなことが起きない。
 とっさに判断して身を引いたが、遅かった。左腕をつかまれたかと思うと、物凄い力で引っ張られた。
「じゃあ、自分で確かめてみろ」
「えっ、うわ、ちょっとまっ・・・」
 カイが何か叫ぼうとしたが、その先は派手な水音にかき消されてしまった。



 ・・・ひどい目に遭った。
 カイは濡れた髪を拭きながら、疲れたようにテーブルに手をついた。
 まさか問答無用で浴槽に落とされようとは。
 おかげで着替えなおしだ。・・・勿論、湯加減はちょうど良かった。
 だが!
 カイは密かに拳を握り締めた。
 まだまだチャンスがなくなったわけではない。
「ほら。遠慮せずどんどん飲め」
 食事の準備が整うや否や、ソルが酒器を干す暇も与えず、カイは容赦なく酌をした。
 このまま酔い潰してやる。
 黒い目的を胸の中に抱きつつも、顔は笑みを絶やさない。
「さあ、どうぞ」
 早くも何本か瓶が転がり始めている。常人相手にはかなり危険な状況だ。こんな無謀を普通、許してはならない。
 しかし、カイの中の理性の箍は外れてしまっていた。
 よしよし。このまま・・・。
「・・・・・・」
「えっ?」
 内心ほくそえんでいると、いつの間にかソルがこちらを凝視していた。
「な、何だ・・・?」
 心のうちを見透かされてはいまいかという不安を抱きつつも、何気ない風にカイは応じる。
「私の顔に何かついているか?」
 するとソルは不意に立ち上がった。
「ど、どうしたんだ?」
「寝る」
 一言そう告げると、そのまま当然のように寝室へ向かっていってしまった。
 ばたん、とドアが閉まる音がして、カイは我に返った。
 時計を見ると、まだ日付も変わっていない時刻だ。いつもより早い就寝である。
 だがそれも、その辺に転がる空き瓶の数を見れば納得もできる。いくらなんでも飲ませ過ぎたか、と当の本人はしばし反省した。
 しかし、すぐに小さくやった、と呟いた。
「これでゆっくり探せるな」
 先ほど探ったジャケットやズボンにはなかった。
 ということは、数少ない手荷物の中か。
 カイは廊下の隅に放ってあるソルの持ち物を広げてみた。
「・・・うーん。これで全てだとしたら、やはり捨ててしまったと考えたほうが良いのだろうか・・・」
「何をだ?」
「何って、写真だ、写真」
「写真だと?」
「ああ、そう・・・」
 えっ。
「――――!?」
 背後からの謎の問いかけにうなずきかけたカイは、一瞬思考が停止した後、ばっと振り返った。
「ほお。写真か」
 先ほど酔い潰して寝かせたはずのソルが、いつもの無愛想な顔で立っていた。
「なっ、お、お前、寝たはずじゃあ・・・」
「ああ、突然眠くなくなった」
「何だ、それ・・・」
 言いかけてカイははっとした。
「ま、まさかお前、最初から気付いていて・・・」
 やや身を引き始めた彼女に対し、ソルは一言。
「だんだん賢くなってきたな」
 やっぱり!
 考えるより先に、体は動いていた。
 逃げなければ。
 先ほどの例もある。
 捕まったら何をされるか分からない。
 そんなことは良く分かっていた。
 しかし。
「まだ甘いな」
「うわっ」
 脱衣所の再現か。
 あっさりとカイは捕まってしまった。
 酒気を帯びた息が耳元にかかる。
「まさか、ここまで見事に引っかかるとはな」
「なっ? どういうことだ」
 ソルの声には、最初からカイがやろうとしていたことを知っていた響きがあった。
「おおかたアクセルの奴に聞いたんだろうが」
「だとしたら何だと言うんだ?」
「そんな写真、俺が後生大事に持ち歩いていると思うか」
「それは・・・」
 確かに、ソルならばその場で燃やしてしまいそうなものであるが・・・。
 あれ?
 カイはふと首を傾げた。
 そうだ。ソルの性格を考えると、そんな危険なものを今も持っているはずないのだ。取り上げたらそこで即抹消させるはずだ。
 それなのに、何故かカイは今も持っていることを前提として考えていた。どこか確信にも近いものを持っていた。
 それは何故か。
「あっ! まさか」
 やっとカイにも分かった。
「アクセルさんと共謀して私をはめたのか!」
 ニヤリ、とソルは口音を歪めた。それでカイも確信した。
 まだ持っているかもしれないから、それとなく探ってみたら? というアクセルの言葉がなければ、きっとここまで信じはしなかった。
「あの人は! こ、今度会ったら絶対に懲らしめてやらなければ!」
 あの軽薄な笑顔を思い浮かべて、カイは拳を握り締めた。
 人をからかって何が面白いものか。私はあなたを信頼していたと言うのに。それをあなたは裏切ったのだ。どうしてくれるのか。
 恨み言は次から次へと、尽きることなく浮かんでくる。
「まあ、写真が欲しければあの野郎に頼んでみることだ。――――最も、その時はお前もあいつもただでは済まないがな」
 暗い笑い声がソルの口から漏れた。
「だから今回はアクセルさんを利用して、私を騙したのか。何と卑劣な!」
「勝手に人の持ち物を探ったり、異常な量の酒を飲ませたりしたお前が言えることか」
「うっ・・・」
 痛いところをつかれてカイは言葉に詰まった。
「だ、だが、たかが写真くらいで人をからかって良いと思っているのか! 子どもの頃など誰でもあるじゃないか。その時の写真を見たって、減るものでもないし、けちけちするなよ」
「・・・そうか」
 そう言うとソルは懐から一枚の写真を取り出した。素直にそれを差し出すと、カイの顔色が変わった。
「こっ、これは・・・」
 写真に写っていたのは、一人の少女だった。金髪で、色白で、青緑の双眸に、可憐な顔立ち、可愛らしいワンピースを着ており・・・誰かに似ていた。
「って、私じゃないか!! 何でこんなものが!」
「アクセルの野郎が置いていったぞ」
「あの人は――――っっ!!」
 怒りがピークに達しようとしていた。
 爆発寸前、見計らったかのように、ソルはカイの耳元に口を寄せた。
「まあ、そういうことは後でゆっくりやってもらおうか」
「え?」
 気がつくと、カイはリビングに戻ってきていた。酒盛りのままになっているテーブルの上をさして、
「せっかく用意してくれたんだからな、今夜は最後まで、付き合ってくれるんだろ?」
「いっ!?」
 有無を言わさず壮絶な笑みを浮かべたソルに、カイは写真のことも問いただせぬまま、言いなりになるしかなかった。



 翌日、カイがひどい頭痛に悩まされながら、公務に向かっていたのは言うまでもない。
 そして、一方で、アクセルはしばらくカイと口を利いてももらえなかったのだった。


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