夜明け
静かな夜だ。
歴史が変わった夜とは思えぬ穏やかさ。
忌まわしきループから外れた時間の上を生きている。
そのことを意識できているのは、この土地に住んでいる者の中でもごく少数に過ぎない。
その少数の中に、ラグナも含まれている。
――――未来は変わった。
片割れと窯で融合し、自分の意思とは関係ないものへと変貌してしまい、多くを壊し続ける化け物。
そんなモノになるはずだった運命が、つい数時間前に変わったのだ。
歴史の繰り返しは止まり、この先に何が待っているのかはだれも分からない。
それが不安でないかといえば正直、多少の不安はある。
しかし、それに恐れをなしてはいない。
自分はやるべきことをやるだけ。
それだけは変わっていない。
新たな的らしき者も出てきたのだ。
むやみに安心も心配もしているだけ無駄だ。
――――騒動が終わった後、レイチェルはやることは済んだと言わんばかりに、さっさと姿を消してしまった。
「良いわね、あんな奴に寝首を書かれるなんて真似、私は許さないわ。ゆっくり養生なさい」
一言添えられた労いの言葉は、彼女の最大限の感謝と新たな決意が込められていたので、ラグナはただ黙ってその言葉を受け取った。
それから、精神共々疲れ果てて気を失ってしまったノエルと、昏倒させておいたジンを両腕に抱え、自ら深い傷を負いながらもラグナはこのカグツチで信頼できる医者、ライチの元へとたどり着いたのだった。
三人の姿を見たライチは、初めこそ目を見開いて驚きを示したが、詳しく問い詰めてくることはなく、けがの手当てを請け負ってくれた。
ジンはもとより気を失わせることしかしていないので外傷はほとんどなく、ノエルも傷自体よりも疲労のほうが濃いとのことで、二人とも命に別条はなかった。
それを考えれば、ラグナの怪我が一番重かったと言える。
「これで統制機構の本部から二人抱えてきたですって? まったく、どんな体しているのかしら」
とライチが感心したくらいだ。
「あ・・・っと、ワリィ、金とかすぐにねぇんだけど、怪我が治るまで二人だけでも預かってくれねえか?」
控え目にそう切り出すと、いきなりライチはとんでもないと言い出した。
「お金のことも手当のことも良いわ。でも、あなたも一緒に残るのよ。怪我の具合から言ってもあなたが一番重傷なのだし」
それに、と美人で人気の高い女医はラグナの目をまっすぐに見た。
「この子たちが目を覚ました時、保護者であるあなたがそばにいてあげなくちゃ」
「!?」
一瞬、自分と二人の関係を見抜かれているのかと思ったが、そうではなかったらしい。
「保護者ってのは、言葉の綾だったけれど」
すぐにライチはそう言いなおした。
「でもね、詳しくは知らないけれど、この子たちにはあなたが必要なんじゃないかしら。あなたが必要としているのと同じように、ね」
「っ」
――――俺がこいつらを必要としている・・・?
他人にはそう見えるのだろうか。
少なくともライチにはそう映ったのだろう。
意外としか言えなかった。
自分を殺そうとした弟と、妹にそっくりな、敵対勢力の構成員。
そんな、お互い好意など存在しないはずのこの二人を、何の疑問もなく「助けなければ」と思ったのは、どうしようもない自分の甘さ故なのかもしれない。
「とにかく、治療は終わったわ。部屋は空いているから、あなたもゆっくり休むと良いわ」
ラグナの思考はライチの言葉によって一時止められ、案内された寝床につくと、いとも簡単に意識を奪われていった。
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「ん・・・?」
不意に隣に気配を感じ、ラグナは目を覚ました。
目の前に広がる闇に、今がまだ夜だとわかる。
窓から差し込む月明かりが、侵入者の姿を浮かび上がらせた。
「兄さん・・・」
「ジン、もう良いのか?」
この弟には、他に訊きたいことは山ほどあったのだが、口をついて出たのは安否を尋ねる言葉だけだったことに、ラグナは自分でも驚いた。
狂気を孕んだ目で自分に襲いかかってきた弟は、しかし勢いを失って今にも泣きそうな表情で、ラグナのベッドのそばまでやってきた。
「ジン?」
「嫌な夢を見て、眠れないんだ。兄さんの隣で寝ても良い?」
良く見れば、ジンの目元は真っ赤だ。
それほど嫌な夢を見たというのだろうか。
これまでのことを考えれば、冷たく突っぱねることもできたはず。
だが、ラグナはそれをしなかった。
「ほら」
毛布をめくって、自分の隣を示してやる。
「仕方ねえな。いつまでたってもテメェは泣き虫のガキだ」
「そんなこと・・・」
否定も肯定もしないまま、ジンは素直にラグナの隣に横になる。
ほっと大きく息をついたジンの頭を、知らぬうちに撫でてやっていたことに気づいたラグナは、自分自身の行動にびっくりしたが、手を止めることはしなかった。
――――今夜だけは、な。
そんな言葉は言い訳じみている。
分かっていながらも、自分の隣でジンが寝息を立て始めたことに安堵する。
「どうかしてるな」
やれやれと首を振って、もう一度寝ようと目を閉じた。
その時だ。
「!?」
ジンが寝ているのとは反対側から、何かが潜り込んでくる。
驚いてそちらを見ると、
「あ。あったかい・・・」
ラグナの腕を掴んでいるノエルの姿があった。
いつの間に侵入したのだろう。
ジンとのやり取りがあったとはいえ、全然気づかなかった。
「お、おい」
「やー。ノエルはここで寝るのぉ。一人は寂しいよぅ」
いつもとキャラが違う。
完全に寝ぼけている。
だが、彼女の言葉には偽りはないと分かった。
一人は嫌。
寂しい。
それはどこかで聞いたような言葉だったが、妹と同じ顔を持つ彼女を突っぱねることも、ラグナにはできなかった。
「あーもー! ちゃんと毛布かぶらねえと、風邪ひくだろうが」
掴まれている腕を器用に動かし、ノエルの肩まで毛布を引き上げてやると、満足したようにノエルはにこにこしたまま、夢の中へと落ちて行った。
「何なんだ、一体・・・」
突然のことに、頭が付いていかない。
今までばらばらだったものが、再び自分の腕の中にある。
それがたとえ一時的なものであったとしても、両腕にかかる重みは守ってやらねばという気持ちを呼び起こす。
「ったく、ワケわかんねーな」
それは二人に向けて言った言葉なのか、それとも自分に向けてなのか。
久々に満たされた気持ちのまま、ラグナも二人に倣って目を閉じた。
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「んん〜」
何だかとても懐かしい夢を見ていた気がする。
それはきっと、温かいぬくもりに包まれているからだろう。
朝の光がまぶしい。
窓から差し込むそれにノエルはゆっくりと目を開け・・・。
「!!?」
自分の間近にある顔に、大きく息をのんだ。
最高額賞金首であり、統制機構が危険人物とみなしたあの、ラグナ=ザ=ブラッドエッジだ。
慌てて飛びのこうとしたところで、ラグナを挟んだ向かいから、厳しい声が飛んできた。
「しっ、兄さんを起こしたら、貴様を殺すぞ」
「き、キサラギ少佐!?」
素っ頓狂な声を上げると、ジンは氷よりも冷たく鋭い視線でノエルを睨みつけた。
「黙れ。静かにしろと言っている。僕はもう少し、こうしていたいんだ」
ジンの肩に、ラグナの手が添えられている。
それはちょうど自分と同じ状況だと気づいたノエルだったが、ジンはそれ以上の質問も意見も会話も拒んだ。
「せめて、兄さんが目を覚ますまでは・・・」
ぽつりと聞こえてきた独り言が、どきりとするほど弱々しかったので、ノエルは一切の言葉を捨てた。
どうしてラグナと同じベッドで寝ているのかは分からないが、そもそもここはどこなのかも分からなかった。
だが、体を見るとあちこちと手当の跡が見て取れる。
――――この人が、助けてくれたの?
仇敵であるはずの統制機構の構成員である、ジンとノエルを。
全てが無関心そうに見えて、同一体に殺されかけたときとっさにかばってくれた背中が、彼女には印象的だった。
きっと、悪い人ではないのかもしれない。
自分の立場からは、そんなことを思ってはならないのだろうが、まるで守ってくれているかのようにノエルの体を抱く腕は、とても邪悪なものには思えなかった。
「分かりました。じゃあ、この人が目を覚ますまでは」
かすかに呟いた声がジンまで届いたかどうか。
ジンの言葉があったからではない。
自分の意思で、ノエルは少しだけラグナに身を寄せてみた。
数多の統制機構本部を破壊しているその人は、何故か懐かしい匂いがした。
「・・・・・・っ」
その瞬間、少しだけ、ラグナの指に力が入ったように感じたのは、気のせいだろうか。
一瞬ラグナが目を覚ましたのかと思ったが、そうではないらしい。
彼は起き上がる気配を見せなかった。
――――結局、
「あらあら。どこに行ったのかと思えば。仲良しさんなのね」
心配したライチが部屋をめぐってくるまで、三人は穏やかな時を共有したのだった。