夜明け前
「初めまして。カイ=キスクと申します。これからよろしくお願いしますね」
美の至極にある微笑を浮かべた好意的な騎士団員の手を、ソルはあっさりと払いのけた。
「これ、ソル。何をするか」
非礼を咎めるクリフに、良いのですよ、その騎士団員――――否、カイは一片も気分を害していないかのように、鉄壁の笑顔を崩さぬまま、年齢にそぐわず落ち着いた声音で言った。
「お気に触ったのであれば謝ります。しかし、これからはお互いの命を預け合う仲間になります。私たちの使命は人類の敵であるギアを倒し、人々を平和な世へ導くことです。そこだけは理解してくださいね」
まさに好人物の鑑。大人であってもこれ程出来た対応をする人物は滅多にいないだろう。どんな狷介な者でも、思わず首を縦に振ってしまいそうだ。
華やかな美貌を前面に押し出すのではなく、派手な顔立ちに穏やかさをまとわせたその表情には、何とも言えぬ魅力がある。決して意図的に作り出しているのではなく、本人の無意識のうちによるものだというところに、この魔的な力の決定的な要因がある。
誰もが感嘆のため息を漏らし、あるいは繊細な心根の持ち主ならば、思わず自分の知る美の最上級の言葉を惜しみなく並べ立てるだろう。カイにはそういう人並みはずれた美しさがあった。
しかし。
着慣れない聖騎士団の制服に身を包んだこの男だけは、普通の者とは違ったようだ。あからさまに顔をしかめ、とんでもない一言を吐いた。
「何でこんなところに小娘がいやがる」
「えっ!」
カイとクリフが同時に同様の反応を見せた。が、その回復はカイのほうが早かった。
「誰が小娘ですか! 私は男です」
先程とは打って変わって、やや語気を荒げてカイが訂正を求める。
「ちっ・・・やれやれだぜ」
これ見よがしにふう、と息を大きく吐き出すソルに、珍しくカイは柳眉を吊り上げた。
「私を子どもと思って侮るのはやめてください。私も騎士です。未熟な部分があるのは認めますが、あなたにとやかく言われる筋合いはありません」
ぴしゃりと言い切ると、表情を改め、あっけにとられているクリフに向き直った。そして、
「では、私はこれで失礼します」
きっちり頭を下げ、さっさと団長室を辞してしまった。廊下を歩いていくカイの足音が聞こえてきたが、それもすぐに聞こえなくなる。ソルは終始面倒くさそうな相好を崩さなかった。
――――今から数年前。
ソルとカイ、二人の出会いははっきり言ってお互い最悪なものだった。
「また、作戦会議を欠席しましたね」
殆ど怒鳴り込むような勢いでやってきたのは、金髪を振り乱したカイだ。
堂々と全員参加の夜の作戦会議をサボったソルは、食堂にいた。アルコールで満たされたグラスを、あり得ないペースで悠然と干している。勿論、これがカイの怒りの琴線を大いに刺激したのは言うまでも無い。
「あなたと言う人はっ・・・」
カイを無視して杯を重ねるソルに、慣れた様子で構わず説教を始める。
「いいですか。確かにここ数日であなたの実力は分かりました。しかし何度も言っている通り、集団で行動している以上規律を乱すような個人行動はやめていただきたい。あなたの軽率な行動で、仲間や一般の人が危険にさらされるかもしれないのですよ。そのためにも、作戦会議には絶対に参加してください」
一気に吐き出すと、カイは肩で息をしながら目の前の男を見た。
黒茶のつんつんした髪に、はずしているところを見たことが無い赤いヘッドギア。常に眼光鋭い赤茶色の双眸に、どこかへ落としてきてしまったのか、全く愛想の無い表情。どんなことにも動ぜず、いつも余裕の体を崩さない姿勢、よく言えばマイペース、悪く言えば自己中心的な行動を繰り返すくせに、いざ戦闘となると彼以上にギアを屠る平騎士もいなかった。
その豪快さ、技の切れ、狙いの正確さ。どれもが巧みで思わずカイが見惚れてしまうくらいだ――――そう、勝手に作戦を無視して、静止も聞かず一人で行動などしなければ。
「良いですか、今日は始末書を書くまで帰しませんから」
向かいの席に座り込み、さっと紙を差し出してきたカイを、ソルは苛立ちを以って睨みつけた。見る者を凍りつかせる視線も、しかし目の前の若き騎士の怒りには勝てなかったようだ。
「そんな目で見ても駄目です。あなたにはもっと厳しくても良いくらいです」
つん、と言い放つカイ。すると荒ただしくグラスを叩きつけたソルが、身を乗り出して初めて口を開いた。
「じゃあ、その始末書を書けば人類は救われるのかよ」
「え?」
思いがけない反論に、カイは口ごもった。構わずソルは畳み掛けるように言う。
「てめえの口ぶりだと、俺のせいで全てがうまくいかねえみたいだろ」
「せっかく立てた作戦はうまくいっていないでしょう!」
「だが、結果は出してるだろうが」
「っ・・・」
ソルの言う通り、確かに彼が参戦してからとそれ以前とでは、差は明らかだった。作戦を無視したといっても、ソルは確実にギアを仕留める。仲間の負傷も、ギアの撃破数を考えれば段違いに少なくなっていた。
「てめえらに合わせてたら、こんなに結果は出てなかっただろうな」
「・・・それは、実際やってみないとわからないでしょう」
「じゃあてめえは、他の奴の命を掛けてそれを試してみろって言うのかよ。やっぱり偉い奴の言うことは違うな」
「ちがっ・・・!」
とっさに否定したカイだが、次の言葉に詰まり、それ以上何も言えなくなってしまう。
カイが持っていたのは端麗な容姿ばかりではなく、剣の腕も法力の扱い方も他の騎士団員から群を抜いていた。この年で既に並ぶ者はおらず、目上の団員を押しのけて団長のクリフの立派な右腕となっている。
非凡な才と顔立ちとを持つカイは、とかく羨望と嫉妬の目にさらされるが、容姿はともかくとして、少なくとも剣術については己の努力の賜物だということを知る者は殆どいない。
そんなカイは決められたやるべきことをやらない者が許せなかった。決まりを守れぬ者に、どうして自分の命など預けられよう。だからこそ、定められたことは完璧にこなさなければならない、という考え方に自然と寄っていた。
ソルはお世辞にも、たとえどんな人の善い者に言わせても、協調性の欠片も見当たらない。そんな彼が、カイは正直嫌いだった。
何とかこいつの性根を叩き直さねば。
そう思ってここ数日張り付いているものの、成果はさっぱりだ。いつもは無言でやり過ごされてしまうが、これほど言い返されたのも機嫌が悪くなったのも初めてだった。さすがのソルも限界だったのだろう。
黙り込んだカイに、ソルは大きくため息をついた。
「ったく、これだからガキはっ・・・」
大儀そうにまだ中身の入っているグラスに手を伸ばす。
――――と。
その寸前、そのグラスは向かいから伸びてきた手に奪い取られていた。
「おい」
抗議のために相手を睨んだソルだが、直後赤茶の両目は大きく見開かれていた。
「こんなものが飲めたら立派な人間だというのか! ふざけるな」
敬語を使うのも忘れてそう言い放つと、カイはグラスの中身を一気に飲み干した。酒を口にしたことの無い者にとっては相当きついであろう液体を胃の中に収めるのと同時に、思い切りグラスをテーブルに叩き付ける。
「この戦いを終わらせたいと思って何が悪い! 戦うのに年齢など関係ないだろう。誰もが、お前のような戦い方の者ばかりじゃないんだ。作戦を練って、指示通りに仲間と連携するのだって立派な戦法だろう。これまで皆そうやって闘ってきた。お前には分からないだろうがな!」
まるで別人のように目が据わっている。酒の勢いとは怖いものだ。
カイはあっけにとられているソルに、無理矢理始末書の紙を握らせた。
「明日の朝までに出せ。いいな」
口ぶりには有無を言わさぬ凄みがある。
しばしカイを凝視していたソルは、やがて諦めたように立ち上がった。
「ちっ・・・」
渋面のまま紙を手に、自分の部屋へと歩き出す。このまま居座ればまた何を言われるか分からない。やりきれないため息の一つや二つは仕方あるまい。廊下に出て数歩進んだ後、
「・・・・・・?」
ソルは背後でした物音に、振り返った。
不審に思い引き返してみると、食堂に残っているはずの人物の姿が無い。首をかしげて見回したところ、件の人物は崩れ落ちるように椅子にすがりながら座り込んでいた。
「おい」
声を掛けてみるが反応は無い。
仕方なく支えてやると、カイは顔を真っ赤に染めて気を失っていた。初めて飲んだ酒のアルコール度が高かった上に、興奮したために、完全に酔い潰れていた。
何度も起こそうと試みたが、結局は失敗に終わる。
「・・・しょうがねえな」
このままほうっておいても良かったが、それではあまりにも後味が悪かった。
ソルは軽々とカイの体を抱え上げた。
いつの間にか夜も更けていたため、誰とも顔を合わせることなくカイを部屋へと運ぶことができた。
細身をベッドに寝かせ、きちんと毛布を掛けてやる。
「うっ・・・」
苦しそうな表情を見せるカイに、ソルはきちっと着込んだカイの制服の襟元を少しくつろげてやった。
その際ちらりと垣間見えた晒しに、しかしソルは何の反応も見せなかった。何事も無かったかのようにそのまま部屋を出て行く。
間違って進入しない限り、そのままでも大丈夫だろうと思ったものの、念のため部屋の前に法力で簡単な仕掛けを作っておいてやる。
「・・・ちっ」
自分でもらしくないことをしたと思ったのだろう。廊下には彼の舌打ちが響いた。
「ううっ・・・」
翌日のカイは激しい頭痛と吐き気に襲われていた。勿論原因は昨夜の一気飲みである。それはカイも覚えている。
だが、ソルが食堂を出て行ったあと、どうやって部屋まで帰ったのかは、さっぱり記憶に無かった。酔っ払いながらも自室へ辿り着き、ちゃんとベッドへ入ったのだろうか。いくら悩もうと、疑問は解決しそうにもなかった。
「おお、カイ。捜しておったぞ」
「あ、クリフ様。おはようございます・・・」
団長室を訪れると、いつものように部屋の主は温かく迎えてくれた。だが、今朝はことさら機嫌が良さそうだった。何かあったのだろうか。その答えはすぐに返ってきた。
「お主がどんな手を使ったのかは知らぬが、ソルが朝一番にこれを持ってきたぞ」
「え? これは・・・」
クリフが見せてくれたのは、昨夜カイがソルに押し付けた始末書だった。昨夜と違うのは、必要項目が全て埋まっていることだ。
「これを、ソルが・・・?」
「うむ。随分と機嫌は悪そうだったがの。それにしても、まさか彼奴がのぅ。いったいどのような方法をとったんじゃ?」
「あ、いえ・・・」
曖昧に言葉を濁しながらも、カイは意外そうに穴が空きそうなほどその始末書を凝視していた。
まだ二人とも、数年後には深い関係になるとは夢にも思わなかった、とある日の出来事。
この時、先の二人を想像できたのは、誰もいなかった。