閑話休題
後編
「そりゃあんまりだろう」
「そうだ、その子が可哀相じゃないか!」
「えっ、ええっ?」
カイを詰めよったのは、先ほどまでブリジットを取り囲んでいた男たちだ。
「俺たちはその子に俺の気持ちをあげたんだ!」
「お前ら公僕に渡すためではない!」
「ちょっと、何ですか、あなた方は!」
たじろぎながらも、カイは反論した。
「決まりは決まりです! それを破って秩序を乱すなど、私は許しません!」
「そんな決まりなど知るか!」
「そうだ、彼女は可哀相な身の上なんだぞ!?」
「病気の両親に代わって医療費を稼ごうなんて、泣かせるじゃないか」
「え? 俺は足が不自由な彼女の兄に代わって働いていると聞いたぞ」
「いや、違う。彼女は己の修行のために諸国を放浪しているのだろう?」
「・・・はあ?」
どの男の言い分もまるで違っていた。カイが知りうる限りのブリジットの事情に、物凄くオリジナリティ溢れた脚色が付け加えられている。
これにはカイのみならず、ブリジットも訝しげな表情を浮かべた。
「う、ウチ、そんなこと言った覚えはありませんが・・・」
「えっ?」
思わぬ反撃に男たちはたじろぐ。
「お、俺はてっきりこんな身の上だから、金に困っているのだろうと・・・」
「大金が必要となれば、余程のことがないと・・・それこそ親が瀕死の状態とか」
「そんなか弱い身で働いているのだし、切羽詰まった事情があると思ったが・・・」
どうやら男たちは勝手に想像を膨らませていたらしい。
彼らの予想があながち間違っていないことには敬意を表しても良かったが、決定的な事項が抜け落ちている。
カイは静かに止めを刺した。
「というか、案の定誤解しているようですが、彼はれっきとした男ですよ?」
「な、何ーっっ!?」
例えその身に雷を受けようと、または信じていた恋人に裏切られようと、たった今男たちを襲った衝撃に如くものはない。
仲良く閉口して凍り付いてしまった男たちに、心底心外そうにブリジットは口を尖らせた。
「も、もしかして、ウチのこと、女だと思っていたんですか!? ひどいです」
隣には本物の女がいたが、多大なる努力と忍耐によって男を装っているため、誰もそれとは気付かない。本物の女の隣で、男であるブリジットだけが女扱いを受けているのだから、見た目など案外当てになるものではないのかもしれない。
それはともかくとして、半ば自棄になったブリジットは、持っていたお金を全額カイに押し付けた。
「女扱いされて稼いだお金なんて、ウチのプライドが許しません! どうぞ、お上のほうで処分しちゃってください」
「とはいっても・・・」
全額となればかなりの量だ。しかも、無許可で稼いだお金。
だが、きちんと手続きさえすれば手元に残るお金があることも事実。
なまじブリジットの内情を知っているだけに、このままそうですかと受け取ることはできなかった。
「署できちんと話し合いましょう」
「その必要はない」
ひどくそっけない言葉が背後から投げかけられた。
「誰ですか?」
ブリジットの誰何の声と同時にカイが振り返ると、そこには見知った顔の男がいた。
「ソル!」
どうしてここに、と口にし掛けたカイを思いとどまらせたのは、ソルの意外な行動だった。
素早く近寄ってきたかと思うと、ブリジットを囲んでいた男たちのうちの一人を、容赦なく取り押さえた。
一瞬逃走の様相を呈したものの、ソルには敵わなかった。
「ど、どうしたんだ、いきなり・・・」
「・・・警察機構が、聞いて呆れる」
「なっ!」
手馴れた手つきで捕らえた男を昏倒させると、ソルは大げさにため息をついた。
「こいつは賞金首だぜ。それも結構大物の」
「賞金首なんですか!?」
ブリジットは、どうやってしまっていたのか、懐から賞金首の手配書の束を取り出した。
一枚一枚確認していた彼だったが、ある一枚の手配書を見た瞬間、驚きの声を上げた。
「ほ、本当です! しかも、こんな大金!?」
手配書を覗き込んだカイも、その男にかけられていた賞金の額に目を瞠った。
きちんと数えていないが、先ほどブリジットが稼いだ金額など、遥かに及ばないだろう。
「ずっとなりをひそめたままだったが、最近大道芸人に入れ込んで、その近くでまたかっぱらいやスリを始めたとかいう話だ。のこのこ人前に姿を現すなど、馬鹿もいいところだ」
「・・・そうか」
カイはベルナルドからの報告を思い出した。
彼のことだ。不確定要素を含む情報を寄越すはずなどない。
きっとベルナルドが言っていた「性質の悪いカツアゲ」というのにかかわっていたのは、ブリジットではなく、ソルに捕らえられた賞金首のことだったのだろう。
「そんな。大物がこんな近くにいたのに、気がつかなかったなんて・・・」
ブリジットの手から、手配書の束が落ちた。
「それじゃあ、ウチがやっていたことって・・・全部無駄だったんですね・・・」
今にも泣きそうな表情で、それでも自分を笑いたいのか、口の端をあげた。
いつもはふてぶてしいまでに、怖いもの知らずの異名を響かせている彼が、ここまで落ち込んでいるのを見たのは初めてだった。
「ブリジットさん・・・」
カイが何か言葉をかけようと口を開くと、
「・・・・・・」
ソルが無言で件の賞金首をブリジットの足元に転がした。
「ソル、お前・・・」
目を見開いたカイの呟きに、ブリジットの声が重なった。
「同情ならやめてください」
それが彼のせめてもの抵抗だったのかもしれない。
しかしソルは、実に興味の薄い視線で同業の少年を見据えた。
そして、
「そいつはてめえがおびき出したんだろ。最後までてめえで何とかしろ」
およそ愛想とは縁のない、そっけない一言を残すと、一切の反論も許さず、背を向けて歩き出した。
「あ、おい!」
カイが呼び止めようとするが、ソルの足は止まらない。
カイは、困惑顔でソルと賞金首を見比べるブリジットに、
「そいつの所在が知れたのも、あなたの芸が素晴らしかったからでしょう。どう考えても、あなたのお手柄ですよ・・・そのお金も、処理はあなたに任せましょう」
そう言い置いて、金の詰まった布袋を返すと、慌ててソルを追った。
その後ろで、ブリジットが頭を下げたのだが、「ありがとうございます」という言葉だけはちゃんとソルにもカイにも届いていた。
カイはようやくソルに追いつくと、肩を並べるように歩調を合わせた。
いつもより速い気がするのは、思い違いだろうか。
「結局、人が善いんだな、お前は」
「・・・・・・」
反応がないことが、こんなにも微笑ましく思えるとは、以前のカイならば想像もできなかったであろう。
こちらを見ようともしないソルの横顔を眺めていたカイだったが、ふと真面目な顔をした。
「お前がそんなだから、私は・・・」
これまでの自分を振り返ってみて、今までならばおそらく、あそこで犯罪者をブリジットに任せず、さっさと逮捕していたことだろう。
彼のことは不憫に思いつつも、犯罪者を目の前で見逃すことなどできない。
しかしそれでは、どんなに言葉を並べてみても、後味が悪い結果になっただろう。
ブリジットからは嫌われてしまうかもしれない。
ソルからは軽蔑されるだろうか。
それでも、仕方ないと片付けることができた。
だが、今は違う。
とっさの判断だったが、カイは自分がしたことは、人の道から外れるものではないと思っている。
その証拠に、最後にブリジットが投げかけた言葉が、何度も繰り返し耳に届く。
そのたびに胸の奥が疼くのは、決して不快ではない。むしろ心地良かった。
ふと口元をほころばせると、カイはソルの腕を引っ張った。
「まだ職務中だから家に帰るわけにはいかないが、これから署へ戻ろうと思う。茶ぐらい飲んでいけ」
抵抗されると思いきや、珍しくソルは素直に従った。
ますます笑みを深くしたカイは、足取り軽く、大通りを抜けていった。