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「どうか・・・どうか、あの子をよろしくお願いします・・・」


 弱々しい声の主が、今生最後の懺悔と願望を紡ぎ出すのを、カイは茫然とした思いで聴いていた。
 静かな春の日の午後。
 普段は絶好の日光浴日和なのだが、ベッドに横たわっている彼にはすでに、死の帳が落ちかけている。
 それは医学に精通していなくともカイには分かった。
 聖戦時、臨終間際の仲間たちを見続けてきた彼女ならではの感覚だ。


 今まで生きてきた彼女の人生は、すべて彼に捧げられていたと言っても過言ではない。
 家のため、権力のため、名声のため――――彼女を取り巻く者はそのような思惑を抱えていたが、カイがこの状況を受け入れていたのは、ひとえに目の前の彼のためだけだった。
 その彼が今にもこの世に別れを告げんとしているまさにこのとき、さらなる衝撃を受けたカイは、目の前が瞬時に真っ暗になった。


 信じられない。


 まさにその一言だった。


「すみません、姉さん・・・」


 かすれる声で、喘ぐように彼は告げる。


「私と彼女は、互いに惹かれあい、そして・・・彼女の体には、私と彼女の子どもが、宿っているのです・・・」


 とぎれとぎれの言葉は、幸か不幸か、カイの耳にすんなりと入りこんできた。
 カイの向かいで彼の手を取っている娘と、ベッドの上の彼を交互に見比べる。


 ――――この二人が、いつの間に・・・?


 それが率直な感想だ。
 確かに、彼女は少し前までは破格の額をつけられた賞金首だった。
 自立型のギアがいる、というのは当時それだけで大きな衝撃だったもの。
 カイも個人的に彼女を追っていた。


 だがこの騒動は、世間的には「ギアは死亡」と処理され、掛けられていた賞金は、中華娘が受け取ったことになっている。
 実際は、彼女は義賊に引き取られて、人間と同じように生活をしていたのだ。
 体の弱さゆえ、屋敷から離れることのできない彼と、いったいどこで知り合ったというのだろう。
 その疑問が届いたのか、ベッドサイドの彼女が初めて口を開く。


「以前お買い物に手間取って遅くなってしまったとき、こっそりと空を飛んで船へ帰ろうとしていたんです。そしたらお買い物かごの中からいくつか買ったものを落としてしまって・・・」


「その品物の、落ちてきた場所が、私の部屋の前の、庭だったのです・・・」


 こんな偶然あるだろうか。
 まさに運命的な出会い。
 転がるように二人は恋に落ち、そして――――


「・・・姉さんには、本当に申し訳ないことを、していると思っています・・・。私は何時でも、姉さんの重荷でした・・・」


「違います! そんなこと・・・」


 即座に否定しようとしたカイの言葉は、ゆっくりと首を振った彼の表情に止められた。


「私が病弱で、跡目を継げないばかりに、双子の姉である姉さんが、私の身代わりになっていること自体、本当に、申し訳なくて・・・」


 幼き頃からこの双子の弟は、体が弱かった。
 対して双子の姉は、特に大きな病気もしない健康体。
 昔からの習慣が染みついている貴族の家柄では、親戚一同男である弟が家を継ぐのが当たり前と思っていた。
 だが肝心の弟は病弱であり、関係のない姉は健康であるばかりか、戦闘能力にも長けている。


「本当に、体が弱いのがお前であれば良かったものを」


 舌打ちとともに投げかけられた口さがない者の言葉に、少なからず衝撃を受けたこともあった。


「お前はこれから『カイ』となれ。もはやお前は女ではない。カイの双子の姉は今日を以て死んだのだ」


 父親から投げかけられた無茶な注文も、弟を守るためならば受け入れられた。
 何より、弟が生きていてさえくれれば。
 その思いだけが、今日まで彼女を支えてきていたのだ。
 その弟が、今まさに天に召されようとしているばかりか、


「姉さん・・・無理を承知の上で、お願いです・・・どうか、私の代わりに、彼女のおなかの中にいる、私たちの子を、彼女ともども、守ってください・・・」


 そのような望みを口にした。
 体の血が逆流するような不思議な感覚が、カイの全身に廻る。


「すみません・・・本当に、ごめんなさい・・・」


 そこまで言ったところで、彼は不吉な咳を何度も繰り返した。
 その瞬間、カイは我に返った。


「大丈夫ですよ!」


 細く白い指をとっさに握る。
 小さい頃は周りも区別しづらいほどに似ていたのだが、今の弟は痩せ細ってしまい、骨と皮ばかりになっている。
 それが余計、死の女神に愛されている存在なのだとまざまざと見せつけられているようで、カイは無意識のうちに大きな声を上げていた。


「大丈夫です! 私が、二人とも守りますから。安心して下さい」


「姉さん・・・」


 ほっと、彼が息をついたのが分かった。
 すう、と誘われるようにだんだんとまぶたが落ちていく。


「これで私も、今まで生きてきた、意味を残せる・・・」


「カイさんっ!?」


 彼女が涙交じりに呼びかけた声に、ほんのりと穏やかな笑みを浮かべながら、彼は静かに息を引き取った――――









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