ここから 後篇






「それが、テメェの秘密か?」


「ああ」


 誰にも言ったことのない、自分と弟の最重要事項を話し終えて、カイは大きなため息をついた。


「シンを預かってほしい」


 そんな頼みを告げたカイに対し、ソルはすぐにはうなずかなかった。
 それどころか、驚くべきことを口にしたのだ。


「何で女のテメェが父親になってやがる。全部話せ。じゃねえと、あのチビは預かれねえ」


「ソル・・・! どうしてそれを・・・」


 誰にも言ったことはなかった。
 カイが女であるということは。
 双子の弟の代わりに、「カイ」として聖戦を戦い抜き、警察機構の長官にまで上り詰めた。
 その人物が女であるということは、最大の秘密ごとだった。
 ほんの一握りの人物しか知らないことを、何故この賞金稼ぎは知っているのか。
 驚きで言葉を紡ぎだせないでいるカイに対し、ソルはやれやれと肩をすくめる。


「今まで世間が気付かねえのが不思議なくらいだろ。馬鹿正直過ぎるんだよ、テメェは」


「そんなこと・・・」


「それはどうでも良い」


 ソルはつかつかとカイに歩み寄ると、彼女の手首を掴んだ。


「どういうことだ。あいつはテメェの子か?」


 先ほど初めて見たシンの姿を思い浮かべる。
 金髪にエメラルドグリーンの双眸という特徴は、完全にカイからの遺伝だ。


 だが彼は、普通の人間ではない。
 あれで生後半年だというのは、どう考えても人外の血が混じっている。
 ギアであるあの娘の血を引いていることもまた、疑うべくもない。


 しかし、カイとあの娘の子ども、というのは一番考えられない。
 女同士の間に子が成せるなど、今の時代にあっても無理な話だ。


「・・・・・・」


 手首を掴まれているので、すぐ近くからソルの鋭い眼光がカイを射抜いている。
 これには嘘も誤魔化しも通用しない。
 今まで胸に秘めてきた、己と弟に関する事項を口にすべきか逡巡したが、今のカイにはソルの助けが必要だった。
 自分と――正確には、双子の弟と同じ特徴を持つ、あの愛らしい幼子の顔を思い浮かべ、カイは覚悟を決めた。
 そして語った内容が、それだ。


「つまり、テメェは今までずっと、双子の弟の身代わりを務めて嫌がったってことか。で、あのガキはその弟の息子だと」


「そうだ」


 表向きにはカイと「木陰の君」と呼ばれる彼女は夫婦になっている。
 だが、シンはカイの子ではない。
 姿形は似ていようとも、それはカイと同じ顔を持った双子の弟から受け継いだもの。
 血はつながっているものの、「父親」ではなかった。
 その事実が、大きくカイの心に影を作っていた。


「私は、あの子の父親になろうと思った。弟の代わりにあの二人を守っていく責任が私にはあるから」


 でも、とカイは悔しそうに唇を噛む。


「私ではダメなんだ。私ではあの子の父親になることはできない。それどころか、満足にあの子を守ってやることも・・・」


 イリュリア連王国国王。
 その大きな地位にいながらも、満足にまつりごとをさせてはもらえない。


 それだけではない。
 「木陰の君」やシンの存在を知った「彼ら」は、ここぞとばかりにますますカイへの圧力を増してきている。
 それと対抗することと、国や国民を守っていくことでカイの量手はいっぱいだった。
 たった二人、「木陰の君」とシンを満足に守ってやれる余裕が、肉体的にというよりは、精神的に、カイにはなかったのだ。


 困り果てたとき、ふらりと姿を見せたのが、目の前の男だった。
 その時瞬時に思ったのだ、シンをこの男に預けよう、と。
 希望を込めた頼みごとであったのだが、ソルからの反応は限りなく冷ややかだった。


「あのチビから逃げるために俺に預けるなら、んな面倒なことは御免だ。諦めんなら、城から母親ごと追い出すんだな。その手伝いくらいならしてやっても良い」


「なっ・・・! 馬鹿なことを言うな!」


 カイは掴まれていない手で、ソルの胸倉をつかんだ。
 しかし、ソルの態度は改まるどころか、


「図星なんだろ?」


 にやりと凶悪な笑みを浮かべてカイを見下ろしている。


「守ってきてやった弟に裏切られたと思ってんだろうが。勝手にガキを作って、テメェに全部押し付けて死んでいきやがったんだからな。はっ、とんだ病弱野郎だな」


「っ! 弟のことを悪く言うな!」


「事実だろうが。家のためか知らねえが、自分の代わりに姉を生死も定かじゃねえ聖戦に駆り出しておきながら、さらに死んだ後までテメェに身代わりを頼んで、あの二人を守れときたもんだ。そりゃテメェが腹立てんのも当然だ。その点は同情するな」


「黙れ!」


 カイは珍しく激昂した。
 そうしなければ、何もかもが崩れて行ってしまう気がしたのだ。
 ソルの言葉が、いちいち自分の胸の中に突き刺さっていく。
 自分は弟も、そして「木陰の君」もシンも、彼らを憎んでいるのだと、そんな風には思いたくなかった。


 認めたくもない。
 憎んでいるわけではない。


 そうではないのだ、と何度も頭の中で繰り返す。
 ソルの言う通り、カイは弟夫婦を憎んでいるのでは・・・。


「違う、違う、違う違う違うっ!」


 駄々をこねる子どものように、何度も何度も頭を振った。


「確かに、弟が彼女と子を成したと聞いたとき、衝撃を受けた。だが、それであの子たちが憎いわけじゃない! 私は生まれてからずっと、弟の身代わりとして生きてきたんだ! 今更それを苦痛に思うこともない。私があの子の望みをかなえてやるのは当たり前なんだ!」


 ――――だって彼は、数少ないカイの家族なのだから。


 それは「木陰の君」とシンにおいても同じだった。


「今更他人になどなれない。『木陰の君』もシンも、私の大切な家族だ! その二人を守ってやりたいと思って何が悪い!?」


 気がつけば、あれ程いたはずの親戚衆はいつの間にか姿を消しており、カイに身代わりを命じた父親も、すでに鬼籍に名を連ねている。
 弟も亡き今、カイにとって真に家族と呼べる存在は、もう『木陰の君』とシンしかいなかった。
 だが。


「私ではダメなんだ! 幾らあがいたところで、私はあの子の父親になってやることはできない! もちろん母親になることだってできない! 私は、シンに何もしてやれないんだ・・・!」


 大切でないはずがない。
 シンが生まれたとき、自分と同じ一族の血を引く子が生まれたことを、カイは心から神に感謝した。
 あの時初めて、カイは弟の言った「自分の生きる意味」を確信し、そしてその機会を与えてくれた『木陰の君』に心底謝辞を述べた。
 この小さい命を、守ってやりたいと思うのは、自発的なことだったのだ。


 だから、精一杯父親であろうとした。
 彼らを守っていくために、何でもしたいと思った。


 しかし、経験もない、そもそも性別も違う、そんなところからひずみは生まれた。
 さらに聖戦の英雄であるカイを傀儡とし、国王に祭り上げようとする輩に囲まれ、思うように身動きがとれないことが、彼女の心を苦しめていった。


「・・・お前が今日、来てくれて良かった」


 不意に沈みこんだカイが、ぽつりとつぶやく。


「お前と手合わせをして頭が冷えた。あのままでは、大切なものを失ってしまうところだった」


 そう言って、掴んでいたソルの胸倉をゆっくりと放す。


「私はあの子たちを守っていきたい。でもこのままではいけないんだ。だから、国が安定するまで、あの子を預かってほしい」


 カイは深々とソルに頭を下げた。
 彼に頭を下げることなど初めてだ。
 そうしようと思っていたわけではなく、自然と体が動いていた。


「・・・・・・」


 しばらくソルは口を開かなかった。
 その間もカイは頭を下げたまま、顔を上げようとしない。
 長い長い沈黙。
 それを破ったのは、ソルのため息だった。


「良いぜ」


 短い了承の声に、はっとカイは彼を見上げる。


「本当か!?」


「ああ。ただし、報酬はもらう」


「ああ、勿論だ。お前の好きなものを用意させる。何でも言ってくれ。あ・・・、封雷剣はお断りだがな」


 珍しく久しぶりに機嫌の良くなったカイ。
 しかし直後また、その身を凍らせることとなった。


「!?」


 不意に伸びてきたソルの腕が、彼女を拘束したのだ。
 抱きしめられる格好となった彼女の耳朶に、何を思ったのかソルは唇を寄せた。
 そしてたった一言。


「報酬は、テメェで良い」


「なっ・・・?」


 どういう事かと開いた口は、ソルの唇によって強引に塞がれた。
 容赦ない乱暴なキスが、カイの口内を犯していく。


「は・・・」


 息をつくのもやっとの状態だ。
 抵抗する暇もなかった。
 好き放題奪われたところで、ソルは再びカイの耳元でささやく。


「あのガキは預かってやる。ただし、どんなふうに育っても文句は言うなよ」


「ソル・・・」


「強制なんかじゃねえ、自分の意思であいつらを守りたいと思うなら、『テメェ自身』が代償を払え」


「あ、ああ。それは構わないが、どうやって・・・」


「どうやって、か」


 カイの言葉に、ソルは口元に凶悪な笑みを浮かべた。
 この純真無垢な英雄は、あれだけ濃厚な口付けを受けてさえも、自分が何を要求されているのか、いまいち分からないらしい。
 分からないのにとりあえずうなずくところは、彼女らしいと言うか何と言うか。


「まあ良い。分からねえなら、分かるようにじっくり教えてやるまでだ」


「え?」


 妙に楽しげなソルと、彼の言葉の意味が分からず、首をかしげるカイ。
 まさに狩られる前の草食動物さながら無防備な姿をさらしている彼女の腕を、ソルは引っ張っていく。
 まっすぐ、寝室へ。


 ――――彼女がソルの言葉の意味を知るのは、そしてじっくりと思い知らされるのは、すぐ後のことだった。








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