オフの日 その4
「・・・やれやれ」
ほっと一息つくと、ふと背後に気配を感じた。
「部屋の中を捜索されたらどうしようかと思った」
カイは振り向きながら、苦笑いを浮かべた。
「お前がとっさに隠れてくれて良かった」
むしろそちらを目撃されてしまったほうが、言い逃れできなかったような気がする。
「・・・あれは、大丈夫なのか?」
「メイさんのことか?」
珍しく心配そうな様子のソルに、思わず嬉しさがこみ上げる。
「彼女は、ジョニーさんしか目にないから。私が女だとばれると、ライバルが増えるから、嫌なんだそうだ」
「・・・ライバル?」
「あ! 勿論、万一女だと知られてしまっても、そんなことにはならないからな! 私がお前以外の男に目を向けるなど・・・」
「何故?」
「は? 何故って、それはお前・・・」
お前がいるからに決まっているからだろう、と答えようとしたカイだったが、にやりと口元を歪めているソルの顔に気が付いて、その後の言葉を嚥下した。
替わりにふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「わざわざ言わなくても分かっているだろう! 馬鹿!」
「そうか」
ふん、と笑っただけでカイの怒りを正面から蹴飛ばしたソルは、カイの腕を掴み、自分の隣に引き寄せた。
どういう力加減だったのか、「引っ張られた」と思った次の瞬間には、ふわりとその細身が逞しい腕の中に納まっていた。
「? ソル?」
またいつものようにその先へ流されてしまうのかと身構えたカイだったが、ソルはその胸に彼女を抱いたままだ。
思わず上げた青緑の目に、いつもと変わらぬ無表情が映る。
その無表情の中に、気遣わしげな色が浮かんでいるのに気が付くことができたのは、ともに過ごす時間を重ねてきた結果かも知れない。
素直に首をかしげたカイの反応に、ソルはやや気分を害されたような声を返す。
「・・・何か言いたそうだな」
「あ、いや、そういうわけではないんだが・・・」
そう言ったカイだったが、ソルの様子に意外さを隠しきれない彼女の顔が、「どうしたのか」としきりに問うている。
ソルは露骨に顔をしかめると、一つ大きなため息をついた。
「なんだ、押し倒されたほうが良かったのか」
「なっ・・・。そんなわけあるか!」
きっと柳眉を上げたカイに、ようやくソルの機嫌が直った。
「俺はそれでも構わないがな・・・」
そこまで言ったソルは、自分をこんな辺鄙なところへ呼び出した張本人、ベルナルドの言葉を思い出した。
「カイ様のことでお前に話がある。あの方の怪我のことだが・・・」
執事はそこまで言いかけて、
「とりあえず、私が指定する場所へ行け」
この宿の場所を伝えると、通信を切った。
いったい何の真似だと怒鳴りたい気持ちを抑えたのは、「カイ」、「怪我」という単語だった。
慌てて来てみれば、本人はけろりとしている。呼び出し主の執事はいない。
このやるせなさを解消するのに、カイをからかう以外に方法はないと思っていた矢先、お騒がせな招かれざる客が乗り込んできた。
そこで、ようやくベルナルドの言葉に合点がいった。
「右足」
「え?」
ポツリとこぼれたソルの一言に、カイは虚を衝かれた。
「お前、気が付いていたのか。私が捻挫していたこと」
「まあな」
「そんなに足を引きずっていたつもりはなかったんだが・・・」
そう言うカイの顔は、意識せぬのに自然とほころんでいった。
「・・・そうか、心配してくれたのか」
ようやくソルの心のうちを知ったカイは、自分の頭を彼の胸に預ける。
「相変わらず、言葉の足りない奴だな」
いつもなら苦笑いでも浮かべて、呆れたような声を返すカイだが、今日は違った。
「――――ありがとう」
湯上りでほてった顔をさらに上気させ、胸の中にある万感の思いをその一言に込める。
やや声が詰まったため、相手には届かなかったかもしれない、と顔を上げたカイの目の前には、無表情を保ちつつも穏やかな空気をまとわせるという、神業的な表情のソル。
溺れそうなほど満たされた思いで、カイは目を閉じた。
「カイ様! 大丈夫でございましたか!?」
連休明け、いつも通りに出勤すると、真っ青になった執事が物凄い勢いで迫ってきた。
「なっ、何ですか。何事ですか」
数歩後ずさったカイに、今にも泣きそうなベルナルドは、深々と頭を下げた。
「すみません。私が手配した宿で、こともあろうに快賊団の連中と出くわしたそうではありませんか。本当に、何とお詫びして良いか・・・」
「ああ、そのことですか。ですが、何事もありませんでしたから、頭を上げてください」
どこから仕入れてきた情報なのか、相変わらず良く知っているなと感心したカイは、「それよりも」と続けた。
「本当にありがとうございました。楽しい休日でした。それに――」
緩んだ口元を隠すようにかざした手の奥から、心からの謝礼を述べる。
「聞きました。あなたがソルもあそこに呼んでくれたそうですね。その・・・気遣い、嬉しかったです」
節目がちに語るカイに、ベルナルドはおや、と思った。
おそらく本人は気づいていないだろう。
その顔が、今まで見せたことのないくらい至福で満ちていることに。
それだけで、ベルナルドは自分のしたことが間違いでなかったことを確信した。
「それはよろしゅうございました」
「もう怪我も良くなりましたからね。今日からはまた、張り切って仕事に取り組みますよ」
「ええ、よろしくお願いいたします」
まるで舞うように足取りの軽い主を迎え入れて、執務室での一日は始まっていった。