ハイスクールパラダイス
第九話
「姉さんはだまされているんですよ!」
帰宅するなり、カイを待っていたのは従弟で同名のカイだった。
紛らわしいので、周りからは「タマ」などと呼ばれてもいるが、本人は甚だ気に食わなかった。それが定着しているのがさらに癇に障る。
その彼が、従姉に対してそんなことを言うには立派な理由があった。
元凶の名は、ソルという。
「何ですか、いきなり。まだソルのことを疑っているんですか?」
「当たり前でしょう。あんな奴、信用が置けません」
きっぱりと言い切る彼の脳裏に、ソルの顔が浮かんだ。
彼自身ソルと接触したのは数えるほどだが、共通して言えることは、無愛想で、どことなく人を小馬鹿にしたような視線を送ってくる、本当に嫌な奴だということだ。
そんなのが、自分の大切な従姉の傍にいるのだ。落ち着いてなどいられない。
「考えすぎですよ。ソルは心を入れ替えて、毎日ちゃんと授業に出ているんですから」
「それだって、姉さんが毎日あいつの家に迎えにいっているからでしょう。姉さんがそこまでする必要があるんですか?」
三月までは、毎日とは言わずとも、時間が合えば一緒に登校していたと言うのに、新学期になってからはカイはソルを迎えにいくとかいうことで完全に別ルートを行くので、一緒に登校した覚えがない。
彼にとってみれば、たった一人の肉親を取られた気がしてならないのだ。
とはいえ、彼本人がそのことを認識しているかと言えば、そうでもなく。
「姉さんまであんな奴に付き合うことはないんです。もっと自分を大切にしたらどうですか」
「ちょっと、それは言い過ぎなんじゃないですか? 確かに彼はずっと授業には出ていませんでしたけれど、今は休まず来ているんですよ。その努力は否定してはいけません」
「姉さん・・・」
従姉の断固とした言葉に、彼は返す言葉を失った。
本当は、もう少し自分といる時間をとって欲しいだけだったが、自分の本心にまだ気がついていない彼には、従姉をどう説得しようか、それしか頭になかった。
そして、説得する言葉が尽きて、閉口している。
「・・・カイ、あなたも話せば彼が悪い人ではないと分かるはずです。今度話をしたらどうですか?」
カイはカイで、従弟の気持ちに気がつくほど、人の心情に機微ではなかった。
どちらかがそういうことに鋭かったならば、こんな妙なすれ違いはおきなかっただろう。
「分かりました。姉さんが、そういうなら・・・」
従姉の言葉を無下にすることなどできなかった彼は、釈然としないものを抱えながらも、そううなずいた。
「ええ、きっと、仲良くなれるはずです」
「・・・・・・」
従姉が自分を気遣っているということがわかっている彼には、もう一度首を縦に振ることしかできなかった。
「では、着替えてきますね」
従弟が納得したことにほっと胸をなでおろしたカイは、そういって自室のある二階へあがっていった。
彼にはそれを見送ることしかできなかった。
しばらくの沈黙の後、彼の口からは深いため息が漏れた。
本当は、あんなふうに怒らせるつもりではなかったのに、と。
そんな彼に、声を掛けた者があった。
「珍しく、ずいぶんと荒れているな」
振り返った彼は、声の主の名を呟く。
「テスタメント兄さん・・・」
この家の同居人のうち、彼と血がつながっているのは、従姉のカイだけだ。
二人は家族を失ってから、クリフに引き取られ、養子として育てられている。
主のクリフは養父であるし、彼の息子であるテスタメントは、いわば義兄と言えた。
女手が少ないこの家において、テスタメントは家事全般を引き受けている。
「すみません。お騒がせしました」
「いや、そんなことはないが」
テスタメントは義弟をリビングに促すと、二人分のお茶を入れた。
「二人が言い合いをしているところなど、珍しいことだと思っていたが。その顔では、問題は解決していないのだろう」
「・・・・・・」
その通りだった。
それどころか、彼の中ではさらにソルに対する嫌悪感が膨らんでいた。
自分の大切な従姉はたぶらかされている、そんな気がしてならないのだ。
黙りこんでしまった義弟に、テスタメントはふと笑みを浮かべた。
「肉親の情というものは、複雑だ。一番身近であった存在が、ある日突然遠くなっていくように感じられる。それは仕方のないことだ。お前とカイは別の人間なのだから。生き方が違ってくるのは当たり前だ」
「はい・・・」
出されたお茶の湯気を見つめながら、ポツリと返事をこぼす。
「お前がカイを心配するのは分かる。お前にとって唯一の血のつながった者なのだからな。だが、その心配も行き過ぎるとカイを苦しめることにもなるだろう」
「それは・・・」
先ほどの従姉を思い出し、返す言葉が浮かんでこなかった。
彼女の表情からは、困惑とともにかすかな苛立ちのようなものがうかがえた。ソルのことをよく言わない従弟にたいして、そんな感情を抱いたのも、従弟がわずらわしいというよりは、ソルが悪く言われているという点に起因しているのだろう。
改めて考えて、彼は自分の子供じみた態度に自己嫌悪を抱いた。
と、突然テスタメントが手を伸ばし、金髪の頭の上に置いた。
まるで慰めるように、その手は優しく頭をなでる。
「兄さん・・・?」
「・・・まあ、少し厳しく言うとそのようなことだが、それではお前の気は晴れまい」
テスタメントは目を細めて口元をほころばせた。
「正直に、一緒に登校したいと言えばすむことではないのか?」
「なっ・・・」
思わず目を見開いて義兄を仰ぐ。
「何を言っているんですか。わ、私は・・・」
「それでは、一緒に宿題をしたいとか、食事時に『ソル』以外の話題が欲しいとかか?」
「な、そ、そんなことは・・・」
激しくうろたえる義弟に、テスタメントはこらえきれず吹き出した。
それが彼の怒りの琴線に触れたらしい。
「と、とにかく、そういうことではありません! お話はこれまでですよね」
そう勝手に締めくくると、お茶に手もつけず、さっさと自室へ戻っていってしまった。
苦笑するテスタメントが彼の分のお茶を片付けようとすると、後ろから噂の彼女が姿を見せた。
「・・・というわけだ」
はじめからカイがそこにいることを知っていたテスタメントは、別段驚くでもなく、当然のようにカイに声を掛ける。
「お前もあれの態度に困っていたのかもしれないが、あの通り、あれもお前の変化に戸惑っていた。それがすれ違いの原因だろう」
「私の変化・・・って、やっぱり、その・・・」
「ソルという者がらみだろう」
「ですよね・・・」
カイはやや赤らめた顔をうつむける。
「自分でも、おかしいとは思うのですが」
「おかしいことはあるまい。人を好きになるのは当然のことだろう」
テスタメントはカイのために新しくお茶を入れてやる。
「それはあいつも分かっているのだろう。分かっていても、存外何もできぬものだ」
「・・・・・・」
「お前も、わかってやって欲しい。あいつがソルのことを悪く言うのにも、理由があるのだ」
「ええ、分かっています」
ようやくカイの顔に笑顔が戻ってきた。
「要はコミュニケーション不足だったということですよね」
ぎゅっと拳を握り締めたカイは、よし、とひとつ気合を入れた。
「カイととことん話し合ってきます! そうしたらきっとお互い分かり合えるはずですから」
「そうかも知れぬな」
「では、いってきます」
意気揚々とリビングを出ていこうとするカイに、ふと思い出したようにテスタメントが声を投げる。
「ところで、件の『ソル』だが・・・」
「はい? どうかしました?」
「あ、いや・・・まさかな。すまない。なんでもない」
「? そうですか。では失礼しますね」
「ああ」
カイの足音が聞こえなくなってから、結局誰も手をつけなかったお茶を片付けながら、テスタメントは先ほど言いかけた疑問を思い浮かべ、
「・・・まさかな」
もう一度否定するように首を振った。
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