ハイスクールパラダイス
第八話
それは良く晴れた日の事。
少女はいつものように、まだ人通りの少ない住宅街を小走りで駆けていった。その足取りはとても軽い。
金髪の短い髪の毛を揺らし、青緑の目を輝かせながらまっすぐ見据えている制服姿の少女は、一高校の生徒をまとめる生徒会長を任されている。
誰あろう、カイであった。
その彼女が向かう先は、この春から新しく通学コースに入ったとあるアパートだった。
建ってから結構な年月を経ていると思われるアパートの階段を軋ませながら、カイは一番奥の部屋の前で立ち止まった。
何のためらいも無く、ドアノブに手をかける。
「無用心もいいところですね。いい加減施錠する癖をつけないと」
そうぶつぶつ言いながらも、靴を脱ぎ、かばんを玄関先に置くと、廊下を過ぎて奥の部屋のドアを開けた。
「おはようございます。時間ですよ」
いつものようにそう声をかける先にいるのは、殺風景な部屋の中で一番目立っているベッドに寝ている、この春から同級生になった男だ。
伝説と化し、数々の人物を拒み続けた彼は、勿論ソルだ。
「さ、起きてください。遅刻してしまいますからね」
カイは容赦なくソルの布団をはいだ。
「もう。面倒くさいから毎朝起こしに来いと言ったのはあなたでしょう。いい加減、早く起きてください!」
カイの説得を受け入れる代わりに、ソルから出された条件がこれだ。
毎朝迎えに来いと言うのだ。
最初は驚いたカイだったが、住所を聞くと通学路からはそれほど外れているわけではなかったし、また、迎えに行けばきちんと朝から授業に出てくれる、とその条件を飲んだのだ。
以来、新年度になってからは毎朝ソルを起こして一緒に学校へ行くのが日課となっていた。
それともうひとつ。
「ソル、遅刻しますよ!」
さん付けはやめろと言うことだ。
同学年なのに、年上だと言うだけで居心地悪さを与えてはならない、とそれも飲んだカイだったが、ソルの真意は分からない。
毎度の事ながら、自称低血圧のソルは、なかなか起きようとはしない。
そのたびにカイは頭を悩ませるのだ。
「本当に仕方ない人ですね・・・こうなれば」
思い切って、カイはかねてより考えていた作戦を実行に移した。
大きな声を上げているだけでは埒が明かない。
カイはソルの腕をとって無理矢理上半身を起こした。
「お、大人しく起きてください」
意外と起こすというのは力が要るものだった。手を離したら再び体はベッドの上に戻ってしまう。
頑張ったほうだと思うが、限界はまもなくやってきた。
「わわっ!?」
思わず手を離してしまったカイだったが、何故か体を引っ張られて、一緒にベッドに倒れこんだ。
「ちょっと、ソル!? 寝ぼけているんですか? 離してください!」
カイが慌てるのも無理はなかった。
何を思ったか、寝ているはずのソルは、カイの腕を掴んで引き寄せたかと思うと、さらに背中にまで腕を回したのだ。
さすがのカイも驚いて、じたばたともがいた。
「いくら寝起きが悪いからと言って、こんなことして、わ、私以外の人だったら絶対に嫌われていますよ!」
一瞬、背に回された腕の力が緩んだ。
それを見逃さず、カイはソルの腕から逃れた。
「・・・・・・?」
苦しいくらい早鐘を打つ鼓動を落ち着けようと、カイはその場に膝をついた。
確かに、予想外の事態に陥って驚いたと言えばそうなのだが・・・。
「おい」
「えっ!」
大げさなほどびっくりして振り返ると、声の主も少し驚いた顔をした。
「何を大きな声を上げてんだ」
「ソル・・・やっと起きたんですか」
無意識に胸の辺りを押さえながら、カイは立ち上がった。
「何度も起こしたんですよ。それなのに相変わらず寝起きが悪いんですからね、困り者ですよ」
心持ち早口になっているような気がする。
どうしても目は合わせられなくて、ややうつむき加減になってしまう。
これも全て、ソルの寝覚めが悪いせいだ。
変に思われただろうか、と思ってちょっと顔を上げると、ソルは全くいつもと変わらなかった。
「・・・今、何時だ?」
「えっ? あ、もうこんな時間!」
自分の腕時計を見たカイは、目を見開いた。
「急いでください! 遅刻してしまいますよ! って、ちょっと待ってください」
構わず着替え始めたソルに、カイは慌てて部屋から飛び出した。
「もう、たまには着替えも済ませて待っていてくださいよ!」
羞恥を消すように言葉を投げるが、返ってくるのは沈黙ばかり。
きっと面倒くさそうに顔をしかめているに違いない。
「はあ・・・」
カイは、人知れずつくため息が、特に新学期になってから多くなったような気がしていた。
ソルが授業に出るようになって、嬉しいはずなのに。
何が不満だというのだろう。
ため息の正体も分からぬまま、そんなことを考えているとまた口から漏れた。
「困りましたね・・・」
やっと熱が引いてきた頬を押さえながら、カイはため息の原因を作り出す男の準備を、複雑な思いで待つのであった。
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