paradox



   

 アクセルは、目の前の光景が信じられなかった。
 自分の目の錯覚かと思ったし、そうでないと気が付くと、錯覚であって欲しいと切に願った。
 それほど、強烈な一場面だった。
 時空転移を繰り返す彼の体質は、相変わらず気まぐれに彼をさまざまな時代へ飛ばす。
 今回も数ある中のひとつだった。
 未来だろうか、過去だろうか。
 悲観的になっていても始まらない。
 生来の明るさから、その体質と付き合う覚悟のできているアクセルは、今回もさほど気にした風はなかった。
 いつものこと。
 繰り返される時空転移のうちの一回。
 そんな軽い意識だった。
 だからだろう。
 予想外の展開に、呆然と立ち尽くすしかできない。
 そこは、室内だった。
 寝室の中だということは分かる。
 広い寝室だ。
 家具も少なく、淡い色で統一されているためか、薄暗い室内の様子は意外と見て取れた。
 ここがどこなのか、アクセルは知らなかった。
 だが、部屋の一角を占めるベッドの上にいる人物から、それは想像できた。
 かすれた声で、ようようアクセルはその人物を呼んだ。
「旦那・・・」
 一人は、よく見知った顔。暗くても分かる。
 黒茶の髪が、精悍な顔を半分も隠しているため、表情は分からない。
 だが、その合間から見える目は、爛々と赤く輝いていた。
 その傍らにはもう一人。
 よく鍛えられた体に抱かれている人物も、アクセルにとっては見慣れた顔だった。
「カイちゃん・・・?」
 呼んでみるが、反応はない。
 その瞬間、アクセルには分かってしまった。
 カイが、自身の意思を以って、体を動かす者が彼女だとするならば、それはもはや彼女ではない、と。
 闇に浮かぶ顔は、普段見る彼女と同じく、陶器のように真っ白い。
 と同時に、どこか作り物めいた冷たさを感じる。
 初めて見る素肌だが、視野に入れるだけで精一杯、羞恥心など浮かぶ余裕もなかった。
 それもやはり人形のようで、まったく生気が感じられない。
 その細い体には、明らかに死の帳が下りていた。
 それをソルは自分に寄り添わせるように抱いているのだ。
「ど・・・どうしたの・・・? これはいったい・・・」
 その声でようやくソルが頭を上げた。
 異様に赤い目を、アクセルに向ける。
「どうして・・・何があったの・・・?」
 何度も未来には飛ばされている。
 だが、こんな未来は初めてだった。
「カイちゃん・・・死んで・・・?」
「その名を呼ぶな」
「っ」
 初めて聞いたソルの声は、いつも聞いているのより数段低かった。
 あからさまな敵意がアクセルに向けられる。
「ど、どうしたのさ! いったい、何がどうなっているの? 分からないよ」
 睨まれたことはあっても、ここまで鋭く射竦められたことはないアクセルは、さらに混乱に陥る。
 薄暗い部屋。
 二度と動かないカイ。
 そして、それを抱きしめて離さないソル。
 いったいどういう経緯をたどったら、こんな結末に至るのか。
 混乱の極みにいるアクセルに、ソルは口元を歪めた。
「これは俺のものだ。ほかの誰も、触ることも、名前を呼ぶことも許さねえ」
 そういってカイの頬に唇を寄せる。
 そのまま唇は頤、首筋、鎖骨・・・さらにその先までたどっていく。
 その光景は、本来は艶っぽい雰囲気を醸し出すのであろうが、アクセルにはただただ不気味という言葉しか浮かばなかった。
 まるで、見せ付けるようにことは進んでいく。
 カイは眉一つ動かさない。
 それでもソルはやめようとはしない。
 反応のない体の隅々まで、自分の跡をつけていく。
「まっ・・・待って、そんな・・・」
 アクセルは不意に浮かんだ自分の考えに戦慄した。
 だが、打ち消そうにも、否定するだけ確信が膨らんでいく。
 最後の望みを託すように、半ば叫ぶようにアクセルは言った。
「ち、違うよね!? 旦那がカイちゃんを・・・」
 そこまで言いかけたところで、ソルがこちらを見た。
 そして、ゆっくりと、口の端を吊り上げた。
「――――!!」
 多分、嘘だ、と言いたかったのだと思う。
 だがその言葉は、再び違う時空に飛ばされたアクセルとともに、その部屋にこだますことはなかった。



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