paradox
1
アクセルは、目の前の光景が信じられなかった。
自分の目の錯覚かと思ったし、そうでないと気が付くと、錯覚であって欲しいと切に願った。
それほど、強烈な一場面だった。
時空転移を繰り返す彼の体質は、相変わらず気まぐれに彼をさまざまな時代へ飛ばす。
今回も数ある中のひとつだった。
未来だろうか、過去だろうか。
悲観的になっていても始まらない。
生来の明るさから、その体質と付き合う覚悟のできているアクセルは、今回もさほど気にした風はなかった。
いつものこと。
繰り返される時空転移のうちの一回。
そんな軽い意識だった。
だからだろう。
予想外の展開に、呆然と立ち尽くすしかできない。
そこは、室内だった。
寝室の中だということは分かる。
広い寝室だ。
家具も少なく、淡い色で統一されているためか、薄暗い室内の様子は意外と見て取れた。
ここがどこなのか、アクセルは知らなかった。
だが、部屋の一角を占めるベッドの上にいる人物から、それは想像できた。
かすれた声で、ようようアクセルはその人物を呼んだ。
「旦那・・・」
一人は、よく見知った顔。暗くても分かる。
黒茶の髪が、精悍な顔を半分も隠しているため、表情は分からない。
だが、その合間から見える目は、爛々と赤く輝いていた。
その傍らにはもう一人。
よく鍛えられた体に抱かれている人物も、アクセルにとっては見慣れた顔だった。
「カイちゃん・・・?」
呼んでみるが、反応はない。
その瞬間、アクセルには分かってしまった。
カイが、自身の意思を以って、体を動かす者が彼女だとするならば、それはもはや彼女ではない、と。
闇に浮かぶ顔は、普段見る彼女と同じく、陶器のように真っ白い。
と同時に、どこか作り物めいた冷たさを感じる。
初めて見る素肌だが、視野に入れるだけで精一杯、羞恥心など浮かぶ余裕もなかった。
それもやはり人形のようで、まったく生気が感じられない。
その細い体には、明らかに死の帳が下りていた。
それをソルは自分に寄り添わせるように抱いているのだ。
「ど・・・どうしたの・・・? これはいったい・・・」
その声でようやくソルが頭を上げた。
異様に赤い目を、アクセルに向ける。
「どうして・・・何があったの・・・?」
何度も未来には飛ばされている。
だが、こんな未来は初めてだった。
「カイちゃん・・・死んで・・・?」
「その名を呼ぶな」
「っ」
初めて聞いたソルの声は、いつも聞いているのより数段低かった。
あからさまな敵意がアクセルに向けられる。
「ど、どうしたのさ! いったい、何がどうなっているの? 分からないよ」
睨まれたことはあっても、ここまで鋭く射竦められたことはないアクセルは、さらに混乱に陥る。
薄暗い部屋。
二度と動かないカイ。
そして、それを抱きしめて離さないソル。
いったいどういう経緯をたどったら、こんな結末に至るのか。
混乱の極みにいるアクセルに、ソルは口元を歪めた。
「これは俺のものだ。ほかの誰も、触ることも、名前を呼ぶことも許さねえ」
そういってカイの頬に唇を寄せる。
そのまま唇は頤、首筋、鎖骨・・・さらにその先までたどっていく。
その光景は、本来は艶っぽい雰囲気を醸し出すのであろうが、アクセルにはただただ不気味という言葉しか浮かばなかった。
まるで、見せ付けるようにことは進んでいく。
カイは眉一つ動かさない。
それでもソルはやめようとはしない。
反応のない体の隅々まで、自分の跡をつけていく。
「まっ・・・待って、そんな・・・」
アクセルは不意に浮かんだ自分の考えに戦慄した。
だが、打ち消そうにも、否定するだけ確信が膨らんでいく。
最後の望みを託すように、半ば叫ぶようにアクセルは言った。
「ち、違うよね!? 旦那がカイちゃんを・・・」
そこまで言いかけたところで、ソルがこちらを見た。
そして、ゆっくりと、口の端を吊り上げた。
「――――!!」
多分、嘘だ、と言いたかったのだと思う。
だがその言葉は、再び違う時空に飛ばされたアクセルとともに、その部屋にこだますことはなかった。
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