サカナ(or 人魚) 3





 その日、城は華やかな空気に包まれていた。
「なぁ、あれが当主様のお見合い相手のディズィー姫だぞ」
「おお、見ろ。あの清純で可愛らしいお姿を…」
 盛大な歓迎を受けて馬車を降りてきた隣国の姫君に、城の者達の視線は釘づけだった。
 カイが、ソルの見合い話を聞いてからきっかり三日後。
 本当にお見合いが執り行われている。
(嘘だろ…)
 カイは噂の姫君を見つめながら、愕然とした思いを抱いている。
 それはそうだろう。
 もしかしたら一緒になるかもしれない男が、いきなり他の女性のところへ行こうとしているのだから。
(あいつだって、私を嫁にせず他の女性と結婚してしまったら、生きてはいけないんだぞ)
 人魚は一途な生きものだ。
 初めて口付けを交わした者と一緒にならなければならない、という掟もその気質から来ているのだろう。
 結婚したら一生相手に尽くすというのも、人魚の世界では当然のことだ。
 だからこそ、不義理は絶対に許さない。
 人魚との口付けは、いわば永遠の愛を誓う儀式のようなものだ。
 口付けを交わしたのに、他の女のもとに流れた瞬間、その身は呪われ、長く苦しみながら死んでいくことになる。
(別に、あいつがどうなろうと私の知ったことではないが、このまま黙って呪われてゆく様を見ているというのも悪趣味だ)
 カイはため息を吐いた。
 ソルのお見合い相手の顔を見るまでは、見合い話に実感を持てなかった彼女だが、あの姫君の姿を見た途端……。
(勝てないだろうな。私では)
 自信を持ってそう断言できた。
 件の姫君は他の使用人がいうように、清らかで控えめで優しそうだし、何よりカイにはない可憐さが備わっている。
 悔しいが、女としてのポイントは向こうのほうが上だった。
(あいつは、この姫君を選んでしまうのだろう)
 二階の窓際に頬杖をつきながら、カイはぼんやり思った。
 今回のこの見合い、プライベートなことだからという理由で、互いの側近のみ同席を許されていた。
 したがって、使用人は仕事が少ない。
 だからこんなにのんびり隣国の見合い相手を眺めていられるのだ。
「そういえば、隣国の国王様、ご病気が悪化されて床に就いたまま起きてこられないらしいぞ」
 使用人の一人が、思い出したようにそんなことを言い始めた。
「だが、世継様はあの姫君だけだからな。いきなりあとを継ぐのも無理がある」
「それで、うちの次期当主様なのか?」
(だがそれでは、どちらかが自分の家を捨てねばならないのではないか?)
 ちゃっかりカイも会話に参加し始めた。
 最近ようやく、声ではなく、身振り手振り、唇の動きで相手とコミュニケーションできるようになったのだ。
 幸いなことに、他の使用人やメイド達は、ちゃんとカイの意を汲んで、話を聞こうと努力してくれる。
 そのことが大変有難かった。
「問題はそこなんだよ」
 カイの言いたいことを理解して、びしりと指を立てる。
「実はな、隣国の国王様がお倒れになったせいで、長年王に仕えてきた側近達が反乱を企んでな。徒党を組んで姫を城から追い出してしまおうと企んでいるんだ」
「じゃあ、この見合いこそ…」
「ああ。姫をさっさとここに嫁がせてしまう気だろう。見ろ、姫の前に立って、次期当主様と話をしている老人、あれが宰相だ」
(何てことだ…)
 カイは息を呑んだ。
 人間は強欲だから、しばしば権力をめぐって愚かな戦いを繰り広げる。
 だがそれは、人魚の世界でも例外ではない。
 カイもよく知っている。
 だから、今目の前でどろどろしたものが渦巻いているのだとしても、別段驚きはしない。
 だが。
(愉快な話ではないな)
 本人の意に沿わぬところで将来が決まってしまう。
 自分がまさに今、どうにもならない状況にいるせいかも知れないが、そんなこと許されて良いはずない。
 カイは隣国の宰相だという老人が、とてつもない悪に見えた。
 そしてよく知りもしないあの姫君に、同情の想いが浮かんだ。
(どうにかならないものなのか?)
 何やら、自分とソルの問題だけでは済まされない事態に発展してきたことに、カイは行く末を思って苛立たしげに顔をしかめた。
 使用人達のお見合い話はまだつづいていた。
 だがカイはそれ以上お喋りに付き合う事無く、そっとその場を離れた。
 何故だろう。
 胸が苦しい。
(…一人になりたい)
 知らず知らずのうちに、カイはふらふらと城の外れにある、図書室に向かっていた。



 幼い頃から本と触れ合っていたせいか、多くの本に囲まれていると落ち着く。
 閲覧用の椅子ではなく、奥の本棚の前に座り込んだ。
 城の中は見合い話でいっぱいで、好んで図書室に来るものはいない。
(あれ…?)
 どうしたのだろう。
 腰を下ろした途端、激しい睡魔が襲ってきた。
 本でも読んで頭を冷やすつもりだったのだが、どうしても眠気が払いきれない。
(…少しなら良いか。今日は仕事もないし)
 見合いに関わりを持たない使用人は、実質休日のようなものだ。
 だから、きっと寝ていても怒られまい。
 そんなふうに考えたカイは、別段抵抗する事無く、体が要求するように、素直に意識を手放した。



(ん…)
 何だろう。
 とてもあたたかい。
 どのくらい時間が経ったのか、ふとカイは意識を取り戻した。
 これは何なのだろう。
 あたたかいだけではない。
 心が安らかになって、心地よい。
 カイはその正体を探るべく、微睡みながら、ゆっくりと目を開けた。
(これは……人!?)
 目の前にあるのは、がっちりとした胸だ。
 そして体に回された腕が、がっちりカイの体を抱き締めている。
(えっ…!)
 出ないと分かっていても、カイはうっかり声を出そうとする。
 今回もそうだった。
 あまりのある驚きに対しては、どうしても体が動いてしまうのだ。
 はっとして、カイは傍にいる人物の顔を見上げた。
「起きたか」
 低い声が降ってきた。
 初めて聞く声に、不覚にも胸が高鳴った。
(ソル…!?)
 まさかという思いが瞬間的に浮かんだが、頬をつねってみると、痛い。
「間抜けなことをするな」
(ま、間抜けとはどういうことだ!)
 口の動きだけでそう伝えると、呆れ果てたため息が返ってきた。
 それがさらにカイの勘に障った。
(いいか。私は、お前が私に口付けしたせいで、お前に嫁ぐしかなくなったんだぞ!? どう責任とってくれるんだ!)
 胸ぐらを掴んで、そう怒鳴ってやれたら、どんなにすっきりするだろう。
 カイはぎりぎりのところで踏み止まっていた。
「…んだぁ、その目は。使用人が雇い主にする目か」
 言われてみれば、そうだ。
 カイは改めて、自分が使用人で、ソルが主人であることを思い出した。
(私はこいつに仕える気は、さらさらないがな)
 つい、と顔を背ける。
 カイは気がつかなかったが、彼女の様子にソルはにやりと口元を歪めていた。
(どうでもいいが、何でこいつが私の隣にいるんだ? 見合いの最中では?)
 そもそも、主人がお見合い中なので、使用人である自分はここで寝ていたわけだが、あろうことか、主人に寄り掛かって眠りこけているところを見つかってしまったら――。
(ペナルティ?)
 そろそろと視線を上げると、ソルは意地悪く口角を上げた。
「ああ。今日の給料はカットだな」
(やっぱり…)
 がっかり肩を落としたカイに対し、ソルは何を思ったのか、回した腕に力をこめた。
(なっ!?)
 そして、そのまま彼女の唇を塞いだ。
(な、何だ!?)
 いきなり抱き寄せられたかと思うと、ソルの手がカイの口元を覆った。
 何のつもりだ、と抵抗しようとした瞬間。
 図書室のドアが開いた。
(誰…?)
 その答えはすぐに分かった。
「姫!」
 男の声がそう呼んだ。
(姫…?)
 姫といわれて思い出すのは…。
「姫! ディズィー姫! こんなところに一体何用ですか?」
「テスタメント…話があります」
 そっと本棚の間から覗くと、先ほどちらりと見た可憐な姫君の姿と、あれは騎士だろうか。
 長い黒髪の、美貌の男が一緒にあった。
 きっと姫が読んだ、「テスタメント」とは彼の名前だろう。
(何だ…?)
 見守るカイ達に、入ってきた二人は気がつかない。
 だからこそだろう。
 ディズィーは、テスタメントに抱きついた。
「姫!?」
 驚く彼に、さらにディズィーは言葉を重ねる。
「私と…私と一緒に逃げてください!!」
「なっ…!」
(えっ!?)
 彼女の言葉に、奇しくもカイとテスタメントの驚き声が重なった。
(一体どうなっているんだ…?)
 カイは目の前で起きている事態が飲み込めずにいた。
 お見合いをしているはずのソルは、起きたら何故かカイの傍にいたし、もう一方のディズィーはというと。
「ひ、姫…ご冗談はお止め下さい」
 混乱そのままに、テスタメントはディズィーの肩に手を置く。
 それが、自分との距離をとろうとしていると分かったディズィーは、テスタメントに回した腕に力をこめた。
「嫌です。誰かの意志で、初めて会う方のもとに嫁ぐなんて…。
 あなたは、私が嫁いでしまっても、何とも思いませんか?」
「そ、それは…」
「私は、あなたが嫁げというなら、嫁ぎます」
 涙を堪えながら、じっと見上げるディズィーからは、なみなみならぬ覚悟がうかがえる。
 それはそうだろう。
 お見合いをしに他国に来ながら、従者に駈け落ちを迫っているのだから。
 半端な覚悟ではできないことだ。
 見ているうちに、カイは胸が締め付けられる思いがした。
(この人は、自分から未来を切り開こうとしている)
 危険を承知で思い切った行動をとっている。
 彼女だって色々と事情があるはずなのに。
(自分に正直に生きようとしている……それに比べて私は…)
 人間になってソルを追い掛けてきたが、彼の嫁になろうという気があったわけではない。
 だが、掟を無視するという考えはなく、掟だから仕方ないと諦めているところがあった。
(結局私はどっちつかずだったんだ…)
 自分は、本当はどうしたいのだろう。
(私は真剣に考えなくてはいけない。後悔しないために)
 カイがそう決意したときだった。
 今まで黙っていた男が動いた。
「おい」
 その声に、ディズィーとテスタメントははっとして顔を上げた。





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