サカナ(or 人魚) 4




(ソル…!?)
 カイはやっと、今まで黙っていたソルに意識が向いた。
 ディズィーはこの見合いを嫌がっている。
 それは事情が事情だから、拒否したい気持ちはカイにも理解できる。
 できることなら自由に、本当に好いた者と一緒になってほしいと思う。
 だが、そうしたらソルの立場はどうなる。
 見合い相手を招きながら逃げられたとあっては、面子を潰されてしまう。
 それがもとで相手国と険悪になっては、大変なことだ。
 ディズィーがソルを好きなわけではないと分かって安堵していたカイは、その逆は、と思った。
(ソルは彼女をどう思っているのだろうか)
 そうだ。
 そちらのほうが重要だ。
「おい、今の話はどういうことだ?」
 限りなく冷たく、低い声が図書室に響く。
 返事をしたのはディズィーだった。
「ごめんなさい…。私はこの人が好きなんです」
 テスタメントの腕を掴んだまま、必死でソルの鋭い視線を受けとめている。
 ソルはそれを嘲笑うように鼻をならした。
「そいつは王族に仕える騎士か。臣下が主人に手を出すとはな」
「この人のことは悪く言わないで! この人は関係ないの」
「てめぇは黙ってろ」
 容赦のない一言に、ディズィーは言葉を飲み込んでしまった。
 ソルの視線の先には、王直属の騎士の方に向けられていた。
「てめぇはどうなんだ。関係ねぇか?」
「私は…」
「関係ねぇなら、力ずくで奪うだけだ」
 ソルは腰に刷いた剣をすらりと抜き放った。
 ディズィーがはっと息をのむ。
「や、やめて! 悪いのは私ですから!」
 彼女は言い募るが、ソルは聞いていない。
 切っ先は真っすぐ、テスタメントに向いていた。
 ソルは本気だ。
 それは陰で事態を見つめるカイにも分かった。
 だからこそ悲しかった。
(ソルはやはり彼女のことが…)
 落ち込むカイの前では、事態はさらに緊張感を増していく。
「死ね!」
「きゃああっ! テスタメント!!」
 ソルは振り上げた剣を勢い良く振るった。
「きゃああっ!」
 ディズィーの悲鳴の後――――ソルの剣はテスタメントの額すれすれでとまっていた。
「何故避けない」
 静かにソルが問う。
 すると同じくらい静謐な声が返ってくる。
「斬られても止むなしと、思ったからです」
「何故だ」
 一呼吸おいて、
「私も彼女をお慕いしているから。あなたの怒りを受けるのは当然のことです」
「テスタメント!?」
 ディズィーはテスタメントを見上げた。
 すると、穏やかな笑みが返ってきた。
「身分違いの結婚など、姫を不幸にしてしまうだけです。だから、私はあなたのお誘いを断ろうと思っていました」
「そんなことない! 私はあなたがいてくれれば、それで十分だもの!」
「姫…」
 テスタメントはそっとディズィーの肩を抱いた。
 誰が見ても、恋人同士だ。
 こうなって良かったと、素直にカイは思う。
 ……ではソルは?
 見るとソルはいつのまにか剣を鞘に戻していた。
(ソル…?)
「ちっ…まったく。手間掛けさせんじゃねぇよ」
「え?」
 ソルは先程までの冷たさが消え、代わりに大儀そうなため息を吐いた。



 静かに馬車が走り去っていくのを、カイは二階の廊下の窓から眺めていた。
 見合いは見事に失敗した。
 ソルとディズィーとの結婚はきれいに白紙に戻ったのだ。
 あとで聞いた話だが、もしものときのためと、隣の国の王は先手を打っていたらしい。
 家来が裏切ったときのためと、ソルに密かに連絡を取り、ディズィーの後見人になってくれるよう話がついていたのだ。
 それともう一つ。
「じゃ、じゃあ、お父さまは私がテスタメントを好きなこと、ご存じだったんですか?」
「ああ」
 隣国の王は何もかもお見通しだったというわけだ。
「試すようなことをしたのも?」
「二人が愛し合っているのだったら、それも構わない、だそうだ」
 やれやれといった感じに、ソルは首を振った。
 ついでに裏切り者の粛正を行ってしまう気でいるらしい。
 どこまでも隙がない。
「病気が悪化したとはいえ、しばらくは大丈夫だろ。その間にせいぜい勉強することだ」
 ソルはそう言って、翌日には二人を帰してしまった。
 その間に、ソルはディズィーに付き従ってきた宰相をはじめとする、重役たちの身柄をあっさりと押さえた。
 テスタメント以下、数名の護衛を除く多くが捕らえられたのだから、いかにディズィーが四面楚歌の不安な思いをしていたかがうかがえる。
 付き従ってきた裏切り者は、別に相手国から使いが来て、引き取る手筈になっていた。
(本当に抜け目がない…)
 見たことはないが、カイはその隣の国の王に畏怖を覚えた。
(そして、私はどうするか、だな)
 未来が決められていると思っていたディズィーは、手が回されていたとはいえ、はっきりと自分の行くべき道を選んだ。
 だとしたら自分は?
 掟などは関係ない。
 自分は本当に何をしたいのか。
 本当にソルと一緒になっても良いのか。
(私は選ばなければいけない)
 答えはまだ見つからないけれど。
 きっと――きっと本人に会えば分かるだろう。
(いつまでも観察していて、答えを後らせている場合じゃない)
 逃げずに、諦めずに。
 カイは仕事を放棄して、真っすぐソルの部屋に向かった。





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