オフの日 その2







「・・・何というか、予想外というか、予想通りというか」
 宿の前まで送ってもらったカイは、宿の敷地の前で嘆息した。
 今日はいつもの制服ではなく、私服だ。ベルナルドの用意した「カイ様変身セット」は、使用しなかった。
勿体無い、というのもあったのだが、長年の癖だろうか。遠出するときは動きやすい格好をしていないと、なんとなく不安に駆られるのだ。
 それに散々山奥で人が少ないと聞いていたので、変装の必要はなさそうだと判断した。
 それでも、せっかく用意してもらったのだからと、とりあえずバッグの片隅に詰めてはある。
 それはともかく。
 カイは改めて周囲を見渡した。
 周りは見事なまでに木々で覆いつくされている。道といったら来るときに通った、あまり舗装もされていない一本道だけだ。
 高くそびえる杉の木で、空がやけに狭く感じられた。宿の背後はそのまま山の斜面に続いている。大雨の時など恐ろしいだろう。あのうたい文句の「山奥」は決して大げさではなかったのだ。
そんな山の中にどうやって作ったのだろうか。
 宿自体は大変趣のある建物だった。二階建てだ、ということは外からでも分かる。老舗、という言葉がしっくり来るような、どっしりした佇まいだ。
 立派な門をくぐると、またそこから玄関までは少しの距離があった。石畳を歩くその間も、脇に咲く花々で飽きさせることがない。
 玄関をくぐると、連絡を受けていたのか、まだ若い女将が丁寧に正座して迎えてくれた。
 ベルナルドの名を出すと、別段怪しむ様子も見せず、荷物を受け取った女将は直々に「こちらです」と案内した。
 その間、カイは誰ともすれ違わなかった。それどころか、人の気配すら感じられなかった。さすが、隠れ家といったところか。
「これは・・・」
 案内されたのは、母屋とは別の離れだった。
 小ぢんまりとした玄関を抜けると六畳と八畳の部屋があり、さらに内湯も付いている。勿論そこからの眺めも、よく手入れされた庭が望め、文句つけのようもない。
 一人で泊まるのが勿体無かった。
「お食事はこちらにお持ちいたします。
 大浴場と露天風呂は、母屋の一番奥にございます。どちらもいつでもご利用いただけます。ただ、時間によって女湯と男湯が入れ替わりますので、それはお気をつけください。
 その他、何かご用事がありましたら、お呼び出し下さい。それ以外はこちらからお伺いすることはございませんので、ごゆっくりお過ごし下さい」
「ありがとうございます」
 礼儀正しく一礼すると、着物姿の良く似合う女将は静かに出て行った。
「ベルナルド・・・このような部屋を予約していたなんて」
 彼らしいといえば彼らしいが、ここまで良い部屋だとかえって申し訳なくなってくる。
「お土産は温泉饅頭だけではすまないでしょう」
 執事のリクエストした品も、遠慮しているとしか思えなかった。
 お礼は返ってから、相手が嫌と言うほどするとして。
 カイは立ち上がった。
 こうなったら、思いっきりのんびりしなくては、執事に申し訳ない。
 タオルと浴衣を持つと、この宿自慢の大浴場へと向かった。



「はあ、やっぱり良いな・・・」
 ほかに誰もいない湯船に身を沈めたカイは、思わずため息をついた。
「大きなお風呂は、それだけで気持ち良いからな」
 手足を伸ばし、全身の緊張をほぐす。最初は心配していた人の目も、それほど気にする必要はなさそうだ。
「ああ、こんなにゆっくりできるのは、確かに久しぶりかも・・・」
 休日の記憶を引っ張り出そうと目を閉じたカイは、真っ先に浮かんだ男の顔に、自分でもびっくりした。
「・・・あれ。おかしいな、休日はソルと一緒にいる記憶しか・・・」
 他の記憶をあたろうとするカイだが、ソルの出て来ない休日の記憶は、どれも色褪せていた。
「言われてみれば、殆ど一緒だったような・・・」
 休日以外にも会っているので気が付かなかったが、休日だけをとってみたら、ソルと過ごしていない日のほうが少なかった。
 彼はどこで情報を仕入れてくるのか、必ずカイの休日に合わせてやってくるのだ。
「そういえば、今回のことは何も言ってこなかったな・・・」
 言おうにも会っていなかったので、仕方ないことではあるのだが。
何となく後ろめたい気持ちになった。
 と同時に、開放感に満ちていた気持ちも、急に冷めてしまった。
「・・・そろそろ出よう」
 誰にいうでもなくそう呟くと、カイは立ち上がった。
 ――――その時だった。
「わー、広いお風呂」
「えっ」
 明るい声とともに、客が入ってきたのだが、その客を見てカイは目を見開いた。瞬時に向こうの顔色も変わる。
「メイさん!?」
「ええっ、何でこんなところに!」
 お互い指を差し合って、しばし沈黙する。
 だが先に事態を飲み込んだのはカイだった。
「ど、どこかに隠れなければっ・・・」
 ここにメイがいるということは、他のメンバーも漏れなく付いてきているということだ。変装も何もしていない今のカイが女湯にいたら、というかこの体を見たら、大変なことになる。
 だがそれを察したメイは幾分落ち着いていた。
「大丈夫だよ。みんな、山菜取りに行っちゃったもん。ボクだけ別行動なんだ」
「よ、良かった・・・」
 入ってきたのが一人、しかもカイの秘密を知っている人物だったことに、カイは神に感謝した。
 ほっと胸をなで下ろしていると、ふと自分に向けられている視線に気が付いた。
「? どうしましたか」
「あ、ううん、変なこと言っちゃうかもしれないけど、やっぱり女の人だったんだなって・・・」
「!」
 そんな風にいわれたら、何となく気恥ずかしくなる。カイはタオルで自分の体を隠した。
「あ、ご、ごめんなさい。じっくり見ちゃって」
「そんなことありませんよ。その・・・あまり人に見せるものではないですからね」
「う、うん。そうだよね」
 いつもと違う状況に、二人とも気まずい思いで互いから視線をはずした。
「え、えーと、では、誰か来ては困りますから。私はこれで失礼しますね」
「うん。あ、ボクたち日帰りだから!」
「分かりました。夜までおとなしくしていますよ」
 では、と言ってカイはそそくさと浴場を後にした。
 あんなに立派な部屋を予約したベルナルドも、よもや快賊団と鉢合わせるとは予想だにしなかったろう。
「・・・とはいえ、日帰りで助かった。とりあえず、部屋でおとなしくしているか」
 カイは右足の怪我をしばし忘れ、そそくさと離れに戻った。


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