ハイスクールパラダイス
 
 第二話







「はあ・・・」
 二桁を超えるため息の数に、同級生(強調)で生徒会長補佐のベルナルドは訝しげに声を掛けた。
「カイ様、いかがなさいました? 何をそんなにお悩みになっておられるのですか?」
「え・・・?」
 声を掛けられてようやくカイは我に返ったようだ。ゆっくり上げた顔には驚きの色が浮かんでいる。
もしかしたらここが生徒会室で、昼休みになったからいつものようにここで昼食を摂っていることすら、忘れていたのかもしれない。
「あ・・・私は・・・」
「お弁当のクリームコロッケをつまんだまま止まってしまわれたので、何ぞ盛られたのかとひやひやしておりましたが・・・」
「・・・いえ、すみません」
 箸をおき、しばし考え込んだあと、カイはポツリと漏らした。
「私は恥ずかしいです」
「カイ様?」
 突然の一言にベルナルドも手を止め、カイを見た。
「どうなされたのですか」
「・・・先程、理事長が仰っていた伝説の不良に会ってきたんです」
 その時のことを思い出したように、カイは表情を曇らせた。
「私、彼を利用しようとしていました。彼が更生すれば、この学校の風紀が改善されると。自分の功績のことも、頭にあったのかもしれません」
 ソルの一言が今も生々しく思い出される。
 彼本人のことを考えて、彼を更生させようとしたわけではなかった。
 「生徒会長として」という大きな前提があっての行動だった。
「恥ずかしくて、どう彼に接して良いのか分からないのです・・・」
 ほう、とベルナルドは腕を組んだ。
 完全無欠に見えた模範生のカイが悩む姿というのは、なかなか新鮮である。
「何を感心しているのですか。私は真剣に悩んでいるというのに」
 恨みがましそうにうなるカイの視線を受けて、慌ててベルナルドは咳払いをする。が、にやけてしまっているのは隠せなかったようだ。
「ひどいじゃありませんか。私は本当に悩んでいるというのに・・・」
「失礼しました・・・」
 無理矢理笑を押し込めると、その反動で大袈裟なくらいベルナルドの顔は真剣になった。
「それで、カイ様はいかがなさりたいのですか?」 
「・・・私は、やはり見過ごせません。知ってしまったからには」
「だったらここで悩んでいらっしゃる場合ではないのではないですか?」
「え?」
 こともなげに言ったベルナルドの一言に、カイははっとした。
「それは、どういうことですか?」
「今もその者は屋上にいるのでは? ずっと悩んでいるなんて、カイ様らしくないじゃありませんか」
 穏やかな物腰で何事も完璧にこなしているように見えるカイだが、実は行動派なところがあった。良く言えば怖いもの知らず、悪く言えば世間知らず。
だが、その気性があったからこそ、現在に至っていた。
「一度会ってきたらいかがです?」
「・・・・・・」
 カイはがたん、と大きく椅子を鳴らして立ち上がった。
 食べかけの弁当にも目をくれず、ぎゅっと拳を握り締めて、
「そうですね。ありがとうございます!」
 迷っていたのが嘘のように、一目散に走り出した。
 ショックを受けてこのまま引き下がっては、これまでの会長と同じである。
 功績とか責務とか、そんなことは後から自然とついてくるものだ。
「よし!」
 ひとつ気合を入れると、カイは屋上へ続く扉を開けた。



「また、来ました」
 息を整えると、カイはそこにごろりと転がっている男のもとにひざをついた。
朝来たときと全く変わらぬ位置に、全く変わらぬ格好で、全く変わらぬ表情のまま横になっていることに多少びっくりしつつ、カイはソルの顔を覗き込む。
「お昼も食べないのですか? 呆れたものぐさですね」
「・・・・・・」
 ゆっくりとソルがカイのほうへ目を向ける。
「迷惑だと言っただろ」
「でも、また来ますと言いましたから」
 カイはソルの手をとった。
「これからだと4時間目に間に合います。ほら、行きましょう」
 どう接しようかとここまで来る間は悩んでいたが、ベルナルドの言った通り、ソルに会ったら迷いは消えてしまった。
 ぐいぐいと本人は引っ張っているつもりだが、磐石の構えのソルを、起き上がらせることすらできない。
「ここで寝ていても仕方ないでしょう。せっかく学校へは来ているのですから、授業に出ないともったいないですって」
「・・・・・・」
 始めは無視を決め込んでいたソルだったが、カイのあまりのしつこさに、我慢の限りを超えたらしい。
「わっ!」
 素早く体を入れ替え、あっという間にソルはカイを組み敷いた。
 カイが瞬きしている間に、ソルの顔が目の前に迫っている。
「・・・いい加減にしねえと、本当に容赦しねえぞ」
 掴んでいたはずの手を掴まれ、見下ろしていたはずが見下ろされている。
 突然の状況変化はカイから言葉を奪った。
 だが、不思議と恐怖はなかった。ソルの目は、先程のように凄まじい怒気を孕んでいるにもかかわらず、だ。
 ぼんやりとソルを見上げていると、入り口辺りでどさりと言う音がした。
「!」
 二人がそちらを向くと、そこにいたのは、ソルの舎弟でもあり、カイの幼馴染でもある――――アクセルだ。足元には、彼の昼食なのか、パンやら飲み物やらが散らばっている。
「なっ、何してんのさ、二人とも!!」
「え?」
 ようやくカイは自分の身の危険に気がついた。思い切りソルを突き飛ばすと、彼との距離を置く。
「も、もしかして俺、いいところを邪魔しちゃったとか・・・」
「違いますっ!」
 思わず声を荒げてカイは否定する。
「わ、私はただ、彼を教室に連れて行こうとしただけで・・・」
 気がついたときにはあのような状態だったのです、と言っただけで、本当にアクセルは納得したのだろうか。
「ふうん」と言ったきり、それ以上の追求はなかった。
カイの後ろにいたソルの目が、質問は許さない雰囲気を醸し出していたからだということは、カイは知らない。
「でも意外。知り合いだったんだね」
「いえ、今日からですけど」
「それであんなことに・・・?」
「ですから、何でもないのですよ、本当に!」
 カイは顔を真っ赤にしながら必死で訴える。
「わ、分かったから・・・」
 あまりの勢いに、アクセルもうなずかざるをえない。彼女の背後からの視線も痛いことであるし。
「それよりカイちゃん、もうすぐ授業始まっちゃうよ。急がないと」
「あ、本当ですね」
 腕時計で時間を確かめ、慌てて階下へ急ごうとするカイ。だが、そこでふと動きが止まった。
「あなただって授業でしょう!」
 どういう神の悪戯か、アクセルとは幼い頃からずっと同じ学校、同じクラスなのである。
 カイが授業ならば、アクセルも然り。
「あっ、いいよ、俺は。腹痛ってことにしておいて」
「これからこんなに昼食を摂ろうという人が、何をふざけたことを言っているのですか!」
「だって、あの数学の先生、絶対俺のこと嫌ってるんだって」
「それはあなたが真面目に課題をやってこないからでしょう。出席率も高くないのですから、仕方ありませんよ」
 カイはがっちりとアクセルの襟首を掴んだ。
「今日はちゃんと出席しましょうね」
「そっ・・・そんなぁ」
 まだご飯食べていないのに・・・とうなだれるアクセルを急かしながら、カイは、またいつもの格好に戻ってしまったソルを見た。
 関心も無いのか、こちらに意識を向けようともしない。
 少しむっとしながら、やや大きな声で一言投げかけた。
「絶対に、諦めませんからね」
 捨て台詞のようだ、と思った。苛立ちを押さえきれぬカイは足音荒く屋上をあとにした。
 いまだ手首に残る、ソルの手の感触を思い出しながら。



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