ハイスクールパラダイス
 
 第四話







「はあ・・・」
 呼吸をするたびにもれるのではないかと疑いたくなるほど、数え切れないほど重ねたため息を、カイはまたひとつついた。放課後、生徒会室の執務用の机の上で頬杖をついたまま、どこを見るともなしに視線は虚空をさまよっている。
「・・・いかがなさいました?」
「・・・・・・」
「? カイ様?」
「・・・・・・」
「姉さん!!」
「え?」
 穏やかなベルナルドの問いかけには全く反応を見せず、従弟の大きな声でようやくカイは我に返った。
 「玉のように美しい青緑の目」をしているので、家族以外にはタマちゃんの愛称で皆に親しまれている(本人はそれを否定)、カイと同じ名前で従弟の少年は、正規の生徒会役員ではないものの、今のクラスの学級委員を務めている関係上、この生徒会室に良く顔を出していた。
――――最も、役割以上の理由も否定できないが。
「ベルナルド・・・それにカイ? どうしなのですか?」
「それはこっちの台詞でございます。ため息ばかりついて、何かあったのですか?」
「ため息・・・? 私がですか?」
 ため息の山を作っていたことには、まるで自覚がないようだ。それがさらにベルナルドの不安を増長させた。
「何か、私が力になれることはありませんでしょうか?」
「あ、いえ。本当に何でもありませんから」
 そう言うカイの顔には、いつもの凛とした強さはどこにもなかった。精彩を欠いた表情は、明らかにいつもの彼女のものではない。
 眉をしかめたベルナルドは、珍しく強い口調でカイに迫った。
「そんな言葉が信じられましょうか。そんなにおいたわしいお姿で。一体何があったと言うのです?」
「・・・・・・あの、屋上の奴のせいです」
 カイが答えるより先に、従弟の少年のほうが苦々しい顔で呟いた。
「屋上の、とは、あのソルとか言う男のことですな。そいつがカイ様に何をしたのですか?」
「あいつ・・・こともあろうに、姉さんを無理矢理・・・」
「なっ!?」
 ベルナルドの顔が一気に青ざめた。
「私が間に合わなければ、何をされていたか分かりません。だからあんな奴、放っておけば良かったのです」
「違います! あれは私がいけないのです!」
「姉さん・・・?」
 思いのほか強い口調で反論してきたカイに、同じ名前の少年は面食らった。
「何故あんな奴をかばうのですか! 姉さんを無理矢理押し倒して。今さら何の理由があると言うのです!?」
「それはっ!」
 従弟に負けじと声を荒げたカイだったが、その時のことを思い出したのだろう。苦い顔をうつむけて、感情を抑えた声で答えを返す。
「・・・それは、私が彼の気に障るようなことを言ってしまったからです。他に、理由などありません」
「だからあの行為を許すと言うのですか!? あのようなことっ・・・。どうなっていたか分からないのですよ? 姉さん、ちゃんと分かっているのですか?」
「心配してくれるのはありがたいことですが、本当にあなたが想像するようなことは起きません。彼はそのようなことをするような人ではありませんから」
「姉さん!?」
「・・・お二人とも、落ち着いてください」
 次第に声量が大きくなっていく二人に、たまりかねたベルナルドが口を挟んだ。
「お二人のおっしゃっていることは、良く分かりました」
「ベルナルド先輩、あなたからも言ってやってください。姉さんは何も分かっていないんです」
「そんなことありません! あなたこそ、勘違いしています」
「な・・・姉さん。私はあなたを心配して・・・」
「分かりましたから、どうぞ、一度冷静になってください」
 17歳の少年(!?)に「貫禄」という言葉は適切でないのかもしれないが、何故か人生経験豊富そうな雰囲気を醸し出しているベルナルドは、すっと二人の間に割って入る。
「申し訳ありませんが、カイ様からお話を伺いたいと・・・」
 そこまで言いかけたときだ。パーン、と勢い良く生徒会室の扉が開いた。
 何事かとそちらへ顔を向けた三人は、うっ・・・と今にも言いそうな表情を浮かべた一人を除いた二人は、そこに立つ女子学生をきょとんとしながら見つめた。
「アイヤー、こんなところにいたアルか! 探し回ったアルヨ!」
 茶色い髪の毛を頭の上の変わった髪留めでまとめた、不思議な訛りのある少女は、目にも留まらぬ速さで、思わず身を引いた少年の腕に飛びついた。
「カイ、お知り合いですか・・・?」
「えっ、ええ、クラスメートで・・・紗夢さん、お願いですから離れてください」
 困惑を顔に描いたような少年の願いは、しかし、叶えられなかった。紗夢と呼ばれた女子生徒は、ぎゅっとカイの腕を掴んだまま離そうとしない。
「つれないアルネ、ただのクラスメートなんて」
「事実でしょう・・・本当に、放してください」
「駄目アル。頼みたい仕事がいっぱいあって困ってるアル。さあ、場所を変えて相談に乗って欲しいアル」
「ちょ、ちょっと待ってください。今、取り込み中なのです」
 あたふたと取り乱す少年に止めを刺したのは、意外にも最愛の従姉だった。
「私のことは良いから、困っている方を助けて差し上げなさい」
「姉さん・・・」
「アイヤー、お姉さんアルか!」
 言葉もなくうなだれた少年とは対照的に、その腕を掴んで放さなかった少女は「姉さん」の一言を聞くと顔を輝かせた。
「これは失礼したアル。アタシ、1年B組16番、蔵土縁紗夢と言うネ。お義姉さん、よろしくお願いするアル」
「あ、これはどうもご丁寧に。カイがいつもお世話になっています。私はカイ=キスクといいます。カイと同じ名前で紛らわしいですが、こちらこそよろしくお願いします」
「姉さん!」
 仲良くお辞儀し合う二人を見たもう一人のカイは、可哀相なくらい、どうして良いか分からないといった顔をしている。端で見ていたベルナルドが思わず同情してしまったほどだ。
「と、とにかく、分かりましたから、行きましょう」
「了解アル! さあ、行くアル! それじゃ、お義姉さん、また」
「ええ、それでは」
 どこか諦めて自棄になっているような少年と、嬉々としてその後に続く少女の足音はすぐに遠ざかっていった。
「カイも頼りにされているのですね。嬉しいことです」
 何もかも勘違いしてしきりにうなずくカイに、気を取り直すようにベルナルドはひとつ大きな咳払いをした。ここまで来ると可哀相を通り越してむしろすがすがしいくらいだ。
「・・・それで、先ほどのお話を伺ってもよろしいですか?」
「あ・・・」
 小さな嵐がやってくる前の話題を思い出し、カイの表情はにわかに曇った。だが、今度はちゃんと顔を上げ、ベルナルドの双眸を見つめた。
「・・・本当に、私が余計なことを言ったせいなのです。きっと・・・私は彼に嫌われてしまったのですね。だから、彼は何も悪くないのです」
 一言一言、自分でも噛み締めるように吐き出すカイ。冷静さを保とうとしているのが良く分かった。
 こんな風に落ち込むカイの姿はそうそう見られない。今まで欠点など見せたことがなかったのに、最近はこのように思い悩むことが多くなった。
 否、思い悩むことだけではない。近頃の彼女は良く自分の感情を表に出すようになった。嬉しいときには常に微笑が絶えないし、今のように頭を悩ませているときはため息の数が尋常ではなくなる。
この変化の原因に、ベルナルドは心当たりがあった。
「カイ様は、随分とあの不良にご執心なのですね」
「えっ!?」
 思いがけない指摘に、カイは目を丸くする。
 対するベルナルドは予想通りの反応であったことに、ほのかに笑みを浮かべた。
「嫌われたかもしれない、と悩まれるなんて、よほど気になって、しかも相手に好意を持っているのですね」
「そんな・・・私は、ただ・・・」
 そこまで言って、カイは言葉を詰まらせてしまった。なにやら考え込んでいるようだが、その真意はベルナルドには分からない。しかし、次に口を開いたときには、カイはベルナルドの期待を裏切らない答えを寄越した。
「・・・気になっていることは確かです。好意を持っているかは定かではありませんが、嫌われたと思った瞬間、とてもショックでした」
「では、彼の説得をやめますか?」
「まさか!」
 カイは金色の髪を乱して大きく首を振った。
「諦めません。・・・諦めたくありません」
「ならば、道はひとつしかありませんね」
「ベルナルド・・・」
 ベルナルドは穏やかにうなずいた。それだけで十分だった。
「ありがとうございます」
 一礼すると、カイは身を翻した。目的地はひとつしかない。
 前にもこうして背中を押されたことがあったなと、何度も彼に感謝しながら、一路、屋上へと急いだ。



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